わたいりカウンター

わたいしの時もある

鹿は海で鳴くのか

  羈旅(たび)の歌

 名児の海を 朝漕ぎ来れば 海中(わたなか)に

  鹿子(かこ)そ鳴くなる あはれその鹿子

  (万葉集巻七1417)

 

 名児の海を 朝漕いできたら 海の中に 

  鹿の子が鳴いている かわいいんだ、その鹿の子

   (参考:日本古典文学全集『萬葉集』/小学館)

 

 万葉集を読んでいたら、なんかラフな雰囲気の歌を見つけてこの歌のことを考えていた。うまくいえないけど、この歌が妙に気になる。

 名児は一説には大阪の住吉あたりらしい。その海に漕ぎ出ていたら鹿の声が聞こえたという歌である。しかし、鹿は海よりは山の生き物に思える。

 声の主は本当に鹿だったんだろうか。

chojugai-qa.com

 このQ&Aを見ると、実際に鹿は泳ぐようである。ではその鳴き声はどんなものだったのだろうか。

deerinfo.pro

鳴き声にも種類があるようで、四種類の鳴き声が紹介されていた。鹿の縄張りはやはり山であろうし、求愛や親子間のコミュニケーションの鳴き声というよりも、海で人間と遭遇したときに出す声は、このページの最初に挙げられているピィという警戒を仲間に知らせる鳴き声だったのではないかと思う。それはカモメやイルカの声と勘違いすることも出来そうで、鹿であると断定するにはまだ早そうだ。

 ところで、なぜこの歌は鹿ではなく鹿子と表現しているのだろう。鹿が子供だと声でわかったのだろうか。

 そういえば和歌には「鹿の子まだら」という表現があった。鹿は冬毛にはないが、夏毛には白いまだら模様があり、木漏れ日に紛れて逃げやすくなるらしい。そしてその白いまだらは鹿毎に固有で一生かわらないものらしい。成獣になるにつれて大きくなる体にあわせて、まだらも薄く伸びていくため、子供の鹿の方がまだらが密集しはっきりしているので「鹿の”子”まだら」というわけである。

www.google.com

 さて子供が海を泳いで移動するとは考えづらいが、成獣の夏毛のまだら模様が海面の太陽の反射で強調されていたとしたらどうか。ここまで考えてようやく鹿だったのではないかとひとまず納得することが出来た。*1

 しかし長く考えすぎたせいか、頭の中ではイルカやカモメや鹿に囲まれている船のイメージがなかなか拭えない。にぎやかでたのしそうである。

 ところで、この歌は歌の前に「羈旅の歌」と書かれていた。「鹿の歌」ではなく。してみると、ここまで考えてきた鹿のことが焦点ではなさそうだ。

 旅には危険もつきものである。むしろ、海の上で山にいるはずの鹿の声を聴いて不安になる訳ではなく、その不思議を楽しみ、かわいいと思える余裕、ひいては作者の旅を楽しんでいる様子こそが、この歌の描いていることだという意図が編者にはあったのかもしれない。

 そこにすぐ思い当たらなかったのは、最近「旅」がめっきり遠いものになってしまっているからか。

*1:あとで調べて知ったが、「鹿子」の「子」は親しみを表す接尾辞ととる解釈もあり、子供を指している場合もあるが、かならずしも子供を指すわけでもないらしい