わたいりカウンター

わたいしの時もある

900年くらい前のラブソング

 瀬を早み岩にせかるる滝川の
  われても末に逢はむとぞ思ふ
   (百人一首77/崇徳院)

 自分の頑なに変化を恐れてしまう部分がとても怖い。
 何かを始めるときも、普段となにか違うことを少しでも感知すると心のシャッターが閉まりそうになる。本日閉店。
 そんなことをやっていても、後でにっちもさっちも行かなくなるだけだ。
 そしてもう一度恐る恐るシャッター少し開けて、外を覗いてみたって何も残っていないのだ。
 最近その傾向をなんとか打破して、とりあえずここ数年くらいの生活の目処が立ちそうなのだが、提出する書類を用意する段になって急にめんどくさいな、という気持ちが頭をよぎった。
 そのあまりの横着っぷりに自分で自分が怖くなったのだ。
 思考の傾向は急には変わらないので、自分でも諦めているフシもあるが、考え方が今後どうなっていくかは楽しみでもある。
 
 冒頭に上げた崇徳院の歌は、恋する人と苦難に直面して分かれることがあっても、絶対また会えるって思うよ、というような歌だ。
 けれど、今自分の感情を主観的にも客観的にも見て居心地が悪くなってる人間として鑑賞していると、感情と理性の乖離も最後はうまく折り合いがつくのではないかと思わされてしまってそれがなんかくやしかった。