秋の田の刈穂の庵の苫を荒み
我が衣手は露に濡れつつ
(百人一首1/天智天皇)
中学生の頃からみみっちい節約をしてはほしい本を買っていた。
毎週土曜日はお昼代として500円をもらっていたのだが、学食では小ライス100円だけ買って、お茶を入れるコップに友達のラーメンのスープをもらっておかずにした。そうして浮かせた400を握りしめて古本屋に向かっていた。
こうまでして漫画やら小説を読んでいたからか、その習慣は今に至るまで続いている。節約しながら本を買う。
本を読むとき、私が一番求めているのは、その世界の生活であるような気がする。まず日々があり、その上に感情が流れていくような物語が好みみたいだ。
例えば大学生の頃「ハクメイとミコチ」という小人が過ごすスローライフを描いた漫画に執心していたことがあった。大工組合の手伝いをしている元旅人のハクメイと、料理に裁縫、歌まで上手なミコチの二人の生活が、丁寧で細かい描き込みによって魅力的に立ち現れていた。気心知れた二人のゆるいやり取りも相まって、読んでいて居心地がよかった。
でも同時に、別に自分の実生活を彼女たちみたいに豊かにしたい、とは思わなかったのである。ここが妙な話だなと思う。
してみると自分は、自らの生活を質素にして代わりに他の生活を眺めては楽しんでいるわけだ。こんな不思議な構図の中でうきうきと本を読んできたことに最近気づいた。
そしてそれをこれからも続けていくつもりである。
冒頭の歌は、秋の田んぼの仮の小屋は屋根の目が荒いので、(そこで作業をする)私の衣の裾も露でぬれてしまう、という歌だ。
農作業の辛さを歌った歌だが、これを天智天皇が読んでいるところに、民の生活を知る良い主君像があり、歌に奥行きが生まれている。
あるいは天智天皇も、身分の違いに関わらず、他の人の生活に興味を持っていたのかもしれない。