わたいりカウンター

わたいしの時もある

冬の歌を背中に注ぐ

 ふる雪はかつぞけぬらし
  あしびきの山のたぎつ瀬音まさるなり
   (古今/冬/319)

 今日は働いたけど、やるべきことを棚に上げて生活が変わるなぁとぼんやり過ごしてしまった時間も長かった。そんな丸まった背中に冷水を注ぐべく、古今集の冬の部を読んでいた。
 とにかく雪に目を向けていて、雪を花と間違えたり、雪の白さそのものを祝いだりする歌が多かった。朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 などは百人一首で見た顔で、こういう知ってる歌がたまにあると読者としての居場所があるような気がして、ちょっとホッとするから百人一首は偉大である。
 いや一息ついている場合ではない。私は緊張感を求めて冬の歌を読んでいるのだ。
 というわけで冒頭の一首に辿り着いた。降っている雪は同時に解けているのだろう、山で泡立ち流れる水の音が一層大きいようだ*1というような意味だろうか。
 冬の冷たい水の激しい流れとその音もさることながら、雨よりゆっくりと降り積もる白雪が実際には解けて雨と同じように、川の流れを激しくさせていく。静かに思える雪の本質的な激しさ。その描写は今日私が過ごしていたような現実感がない曖昧な時間も、実際にはいつもどおりに流れているということを私に突きつけてくれてちょっと正気に戻れた。
 明日はいろいろ済ませてきます。