題知らず 詠み人知らず
うぐいすの鳴く野辺ごとに来てみれば
移ろふ花に風ぞ吹きける
(古今/春下/105)
うぐいすが鳴いている野辺に来てみたら、散っている花に風が吹いていた、という意味になるだろうか。
状況としてはシンプルな歌だが、解釈が少し難しい。単に花が散るのを惜しむ歌と取るよりも、うぐいすが鳴き声を「見るべききれいな花があるよ!」と捉えて野辺へ向かったら花は散っていて、ああ、うぐいすは花が散っているから鳴いているのか、とわかる歌ととるべきか。
梅を期待して野辺に来てそして落胆する、というところまでが詠者とうぐいすの共通体験と見なすと、この歌に奥行きが出てくる。
そこには読み人とうぐいすの間の自然を楽しみ、惜しむ同士としての共感があるように思えてくる。
私は話の構造を理解するのは比較的得意だと思うのですが、悲しい出来事を聞いたときなどはうまく相槌をうてなかったりするので、言葉は通じないなりに、目の前の光景(あるいは感情までも)無言で共有しているこのよみ人とうぐいすの関係がちょっとうやらましい。