わたいりカウンター

わたいしの時もある

電話越しに

 題知らず

あはれてふ事にぞうたて世中を

 思ひはなれぬほだしなりけれ

  (古今/雑下/939)

 

 往々にして、子供というのは説明書を読まないのではないか。買ってもらったゲームを矢も盾もたまらずすぐプレイしていた子供時代だった。

 けれど、一度だけその説明書にある電話番号にお世話になったことがある。

 幼い私がその時遊んでいたのは、任天堂の超有名RPGシリーズの一作だった。

 戦闘を終えると、急に主人公が歩くたびに画面が滲んだようにドットが荒くなり、気持ちの悪い効果音が鳴るようになってしまったのだ。びっくりしてどうしたらいいか分からず泣いてしまった。

 壊れちゃったよと泣き始めた私を見かねて、親が説明書のヘルプセンターの番号に連絡してくれた。

 当然コールセンターの方はどういう状況ですか?と尋ねてきて、さっきのことを電話越しに説明すると、それは毒状態になっていますから、近くのポケモンセンターへ行くか、毒消しや毒を回復するきのみを入手して使ってくださいと教えてもらった。
 言われたとおりにしたらさっきまでの恐ろしい効果音も画面が荒くなることもなくなった。問題が解決して、まるで何事もなかったかのようにケロッとしてゲームを続けた。

 最近祖母の家から出てきた写真にも、幼い頃の自分の写真があり、まあ、なんというか、今じゃできないような珍妙な顔とポーズで写っていて一目見て恥ずかしかった。

 小さい頃の怖いもの知らずでなんでも初めてで、今思うと恥ずかしい反応をしている幼い自分のことを、私は長い間忘れたかったし、変なポーズで写っている写真とか捨てて欲しいなって切実に思ったものだった。

 冒頭の歌は、かわいいって思うことが嫌なんだよね、世俗から離れられない執着になってしまうから、というような意味なるだろうか。

 この歌を詠んだ人は、仏門の修行をして出家したかったのか、なにか恥ずかしかったり嫌なことでもあったのか、感情に平穏を求めていたのだろう。けれどそれもかわいいってことを思ってしまう、心が動いてしまううちは難しいから、だからかわいい(あはれ)はいやだ、と歌っている。

 この歌を読んでいたら、早く大人になりたくて、子供の頃のみっともない自分を忘れたかった自分と重ねてしまった。

 でもそれが最近だんだん変わってきて、ああ自分子供だったんだ、子供じゃんかわいいななどと昔の写真やら失敗やらを目を細めて眺められるようになってきてしまった。

 懐かしめるようになった今、もし幼い頃の自分と直接会って話せるよって言われても、ちょっと実際に会うのはきついかなとは思う。いらんこと言ってしまいそうで怖いし、やっぱり純度100%の自分の若さと向き合うのはつらい。

 でもヘルプセンターで、毒状態に恐れ慄いて電話してくる自分の電話を取ってみたいなとはちょっと思うのだ。苦々しかったり懐かしかったりちょっとかわいいと思ったり、子供の頃とはまた違った方向で、妙な顔をしているだろう大人になった私の顔を、電話越しなら幼い頃の自分に見せずに済むから。