わたいりカウンター

わたいしの時もある

花も紅葉も枝になき頃

 降る雪は消えでもしばしとまらなん
  花も紅葉も枝になき頃
  (後撰/冬/493)

 ふと、私はどう生きてどう死ぬのだろうと思うことがある。結構後ろ向きな気持ちで。
 そんな時、それをしなくても死なないけど最大ヒットポイントがジリジリ減っていくタイプの外出を全くやめて、働く以外家でじっとしていた頃のことを思い出す。
 どうしても行きたい、行かなきゃならないってことを自分で決定するのが難しい時期というのはやはりあるもので、なんとなく行きたいところに行っていた頃はそれができなくなるなんて思いもしなかった。
 本当は好きなはずなのに、自分で「それは本当に必要か?」と自分にいちいち問わないといけない気がして、そしてその問い立てそのものが何かをすり減らしてしまう気がして、そういうこと全般をやめて、家でじっとしていた。
 そういう時にもやっぱり娯楽は必要で、追っている雑誌や新刊を心待ちにしていた。それを読んでいる間だけは、現実の辛さを確かに忘れられた。すぐにまた、つらさや不安に思考が寄っていってしまうのだけれど、それでも、また物語の続きを読むのだという気持ちは物語に没頭していない時でも確かに近くにあって自分を支えてくれた。
 冒頭の歌は、降る雪よ消えるなとまでは言わないが、しばらくは枝にとどまってほしい、今は花も紅葉もない季節なのだから*1、というような訳になるだろうか。
 楽しむもののない冬に娯楽を求めて人の視点で詠まれた歌ととることもできる。しかしもっと切実に、花を紅葉をつけていた、木そのものが雪を希求していると見立てた歌ととると、より焦がれる思いが感じられる。
 かつての花も紅葉も落ちて、それでもせめて枝に積もっては消える雪を惜しむスタンスに、彩りが失われていく生活の中でなんとか物語に支えてもらった日々が思い出されて、冬の寂しい歌のはずなのに、不思議とまあ何とかやっていけるだろうと思わせてもらった。