わたいりカウンター

わたいしの時もある

歳をとっても

ももしきや古き軒端のしのぶにも
 なほあまりある昔なりけり  順徳院
 (百人一首/100)

 適当に作るインスタントラーメンは、ほどほどに貧しき生活を送る人間にとっての贅沢品ではないか。
 最近インスタントラーメンに炒め物を乗っけて食べることが楽しくて、一週間の間に何度も作っている。ただいかんせん適当に作っているため、同じ味が一度として再現されることがない。いわばガチャともいうべき偶発性を自らの料理の腕の下手さで担保している悲しき自家発電であるが、ごくたまに物凄く美味しいラーメンが出来上がる。
 ほんのりと思い出せる範囲でレシピを浮かべると、塩ラーメンをベースに、炒め物は小松菜と玉ねぎをサラダ油で炒め、白だしで味付けたところまでは覚えているが、醤油とか胡椒とか塩胡椒とかいろんな味付けをしたような気もしてきてなんとも朧げである。
 ただ、塩ラーメンと白だしの相性が良く、もともと濃い味の塩ラーメンに負けないくらいの炒め物になっていたのは確かで、その炒め物の白だしがじわじわと塩ラーメンのスープに溶けていき、一口また一口と食べるたびに味が変わっていくのだった。その時はスープまで飲み切ってしまった。
 ただ何回作っても、その時と同じ、夢のように美味しい塩ラーメンが再現できないのである。
 その美味しさを思い返すたびに、いつかタイムマシンができたら、もしかしたらこの再現のしようのないラーメンを食べた過去に執着して、その時間に戻ることを選択肢の一つに入れてしまうかもしれないなとまで思ってしまった。

 さて冒頭の歌は、この宮中の古い屋根の軒の端に生えている雑草の忍草ではないけれど、いくら偲んでもやはり偲びきれないたくさんの昔の記憶がおもいかえされてしまうことだなぁ*1、というような意味になるだろうか。
 昔の都は遷都が付き物で、例えば平城京平安京の関係のように*2、古都新都という観点の歌は万葉集の頃から認められる。
 しかしこの歌の作者順徳院は1197年の生まれとされており、いい国作ろう鎌倉幕府よろしくちょうど京都の貴族の時代から鎌倉の武士の時代への移り変わっていく時期に詠まれている。すると、ここで偲ばれる昔とは、貴族の栄華の、引いては和歌という文化の隆盛の中心となった宮中であり、それが寂れているという歌なのである。
 この昔への憧憬に、最近の塩ラーメンガチャをどう思い返すだろうという感情を一瞬重ねてしまい、すぐに我に帰った。
 今にしてみればを和歌という文化は国語の時間で習うくらいの過去の遺物であり、現在進行形で生まれている本や映画や音楽など同時代のエンタメこそが消費される文化の本流なっていて、寂れいている貴族文化を歌う冒頭歌は、今鑑賞する読み手にとってある意味当たり前のことを詠んでいるとも言えそうである。
 しかし、その当時はまさに本流だったエンタメである和歌が、庇護者である平安貴族と共にさびれていくのを和歌で表現するのはあまりに切実であり、自分で作ったという贔屓目の入った塩ラーメンを食べに戻りたいなどという過去への憧憬とは比べ物にならない感情量がある。この歌を読んで流石に正気に戻ることができた。なーにが塩ラーメンガチャじゃ、と。順徳院もそんなものと一緒にされたくないに違いない。
 ただ、もしインスタントラーメンを食べるのがキツくなるくらいに歳をとった私が、食料品店に並んだその塩ラーメンのパッケージを見た時にどんな気持ちになるのか考えることぐらいは順徳院も許してくれるだろうか。
 

*1:参考:講談社学術文庫 百人一首

*2:正確にはもう少し細かく刻んで遷都している歴史がある。