わたいりカウンター

わたいしの時もある

どうやって伝えるか

もろともにあはれと思へ桜花

 花より他に知る人もなし

 (百人一首/66/大僧正行尊)

 今日は書くことがなかなか見つからなかった。穏やかな一日なのはよかったけれど困ってしまう。そんな時この歌を見つけた。
 意訳するなら、お互いに今をいつか懐かしんでくれよ桜花よ、桜と私以外、ここには誰もいないのだから*1、というようになるだろうか。
 和歌の作詠理由として体験を伝える、という側面があると思うのだけれど、もしこの歌で詠者が読者の方を向いて、みてみて!今この瞬間ここには桜と私しかいないの!などと表現してしまうと、詠者と読者の関係は近づく代わりに桜が取り残されてしまう。
 それではいくらその場面がどこか哀愁漂う厳かな1人の人と桜との対面であったとして全く伝わらない。
 冒頭歌は詠者は決して桜から目を逸らさない。今の桜を見つめながら、お互いの未来のことにまで、いつかまた懐かしく思い出そうよこの時を、と想いを馳せるのである。
 敢えて桜に焦点を絞ることで、却って読者に状況が伝わるというのは表現としてとても気が利いているように思う。
 この歌を読んで、今日書くことを決めあぐねいていた私の背筋もちょっと伸ばしてもらった。
 この頃、ちょっとだけどう紹介しようかなと思いながら歌を読んでしまう瞬間もあった。感情移入させられてしまうことがらに、わき目も降らず一対一で臨んだ体験をまず求めて、それから客観に立ちどう伝えていくか落とし込んでいくんだよ、と諭してもらったような気持ちになった。