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安部広庭の歌2首

 万葉の歌人、安部広庭の歌は少なくとも集中に4首ある*1。その中で今回は「家路」「我が宿」と家に関する語が使われている2首を紹介したい。

子らが家路やや間遠きをぬばたまの

 夜渡る月に競ひあへむかも (万葉集/巻三/302)

 子供達が待つ家までの道は今少し遠く、夜空を動く月と競い合って帰るよ、というような意味になるだろうか。
 「子ら」を妻や恋人と見る読み方もあるが、「夜渡る月に競」う様子はどこか物語じみた非現実感があり、恋人へというよりも子供を気にかける苦労人のお父さんという感じがして、子供と訳した。
 これを詠んでいるのは家路の最中であり、この歌が家族に伝わるのは帰ってからなのだよな、と思うと哀愁も感じられ、先述のお父さんっぷりと相まって57577の中で人間が立ち現れている気がしてしみじみと読んでしまった。

去年(こぞ)の春いこじて植へし我が宿の

 若木の梅は花咲きにけり (万葉集/巻八/1423)

 去年の春によそから根こそぎ掘ってきて植えた、我が家の若い梅は花が咲いたなぁ、というような意味になるだろうか。
 単に風流を楽しんでいる歌と解釈することもできるのだけれど、月と競い合う歌を読んだ後だと、家庭を大事にしているお父さんの家での趣味は庭いじりなんだなと、上司の家庭での顔を見るような不思議な気持ちになる。
 来月から新しい職場で仕事をすることになっている私としては、急な環境の変化に負けず一年で花を咲かせた広庭さんちの梅の木に勝手に感情移入してしまってだめだった。私の方は一年で結果が出るとは思えないけれど職場に馴染みながら頑張れたらいいなと、苦労人のお父さん像を広庭に思い浮かべながら願ってしまった。
 安部広庭は732年没、74歳だった。万葉集に採られた歌は他に、巻三370、巻六975などがある。

 

参考:旺文社文庫 万葉集

*1:今回扱った二首と、最後に挙げた二首の他に、巻九1772を広庭の作とする説もある。