八重葎しげれる宿のさびしきに
八重葎しげきやどには夏虫の
声より外に問ふ人もなし
(後撰和歌集/夏/194)
葎(むぐら)というのは人が来ない荒廃した家屋に伸びる蔓のような植物のことである。そんな葎が幾重にも重なって生い茂っていることと、人が来ない寂しさ、退屈を対比させた詠みぶりは、典型表現として存在している。
そんな八重葎の歌の中から秋の歌と夏の歌を並べてみた。
おそらく百人一首の方、秋の八重葎の歌の方が有名ではないか。私自身、先に知ったのは百人一首の方だった。
秋の涼しさ、肌寒さが思い起こさせる寂しさという感情を、シンプルに歌い出していて好感が持てる。
しかし、現代を生きる人間として、後撰和歌集の夏の八重葎の歌も捨てがたいように思う。
夏虫が騒ぎ、葎は太陽に照らされて一層生い茂っていく。そんな自然の賑やかさとは裏腹に人間の友達は一人も来ない。
インターネットが張り巡らされた現代にあって、情報ばかりが目の前を流れていくけれど、どれを手繰り寄せたら良いのか判断するのは難しい。賑わっているのは何となくわかるけれど、どこか自分だけが乗り切れず、取り残されてしまったような気になってしまうことはないだろうか。
そんな世界と自分のミスマッチからくる寂しさを、後撰集の歌は歌ってくれている。