わたいりカウンター

わたいしの時もある

物思いに沈む

大船の香取の海に碇おろし

 如何なる人か物思はざらむ

  (万葉集/巻十一/2436/物に寄せて思を陳(の)ぶ)

 アニメや漫画などで、水中に沈みながら考え事をするシーンに遭遇することがある。お風呂に沈みながらだったり、海だったり。
 私は幼い頃中耳炎でプールに入らせてもらえなかったり、シャワーを浴びる時も耳栓をつけていたりしたので、そういうシーンを見るたびにちょっとゾッとしてしまう。耳に水が入るとやばいことを体が覚えているのだ。今はもうなんともないのだけれど。
 どうしてそんなに印象的に中耳炎の記憶が残っているのかというと、耳鼻科の診察がひたすら嫌だったからだ。耳の中を好き放題される*1のは6歳児には我慢できなくて、隙あらば診察を拒んだ。耳の中を治療しているのだから当然動くのはご法度であり、最終的に改造される人間みたいに診察台に縛り付けられて固定させられていた。

 冒頭の歌は、香取の海に沈めるいかりではないが、いかなる人がもの思いに沈まないだろうか(否、どんな人でも心のうちになやましいことを抱えているものだ)、という歌。香取は一説に滋賀県高島町の琵琶湖湖岸のあたりとも。
 「いかり」から「いかなる」という言葉を導いていて、だじゃれかよとも思うけれど、物思いの話につながってみると、なるほど、いかりが水底に沈んでくのは物思いに沈んでいる心象風景に合うし、いかりは船を固定するという点で腰を据えてじっくり考えているニュアンスも歌に付与していて何とも侮れない歌になっている。
 自分の子供時代について、楽しいことを思い出しがちだったけど、そういえば中耳炎の治療嫌だったなとこの歌を読んでいて思い出せて、なぜか安心した。

参考:旺文社文庫 万葉集

*1:ちゃんとした治療だったと思います