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わたいしの時もある

馬内侍集注釈がほしい!

人の氷を包みて、身にしみてなど言ひて侍りければ

逢ふことのとどこほるまはいか許(ばかり)

 身にさへしみてなげくとか知る

  (後拾遺和歌集/恋一/馬内侍)

 この間*1、恋人に見せようと思って手で雪をすくったけど、端からとけてしまった万葉の歌を扱って、二人の関係がよかったらいいななどと思っていたけれど、ふと後拾遺和歌集を開いたらこの歌が目に飛び込んできて焦った。
 詞書には相手が氷の冷たさが身に沁みるように、あなたと会えないのが辛いなどと言ってきたことが書かれていて、この歌はそれに対しての返答である。
 あなたとお会いするのが滞っている、あなたが会いにこないその間に、私がどれほど辛い思いをしているかご存知ないのですか、という歌。
 男性が女性の元を尋ねるのが一般的な恋愛形式である平安時代にあって、男性側が会えなくて辛い、と歌う時は、じゃあ会いにこいよという話になるわけだ。この歌を読んで、万葉集の雪がとけてしまったと歌った歌も、冷たくあしらわれていたかもしれないなと認識を改めさせられた。
 それにしても、氷にかけて身に沁みると言葉をかけてきた相手に対して、あなたにお会いせずにいてもうどれくらいかしらと、「とどこほる」と返してくるの、鋭い切先を突きつけられているような気がして当事者でもないのに肝が冷える。
 この機知に富んだ歌を返した馬内侍は、私が個人的に好きな藤原実方とも交流があったようで、歌集も出ていた。
 藤原実方の注釈付きの歌集も手に入れるのが難しくて、五年間くらい片想いをして最終的に偶然ヤフオクで手に入れた。推しの歌集の注釈書を執筆してくださった、著者の竹鼻績先生には感謝してもしきれないと畏敬の意を持っていた。
 今回調べてみたら、なんと馬内侍集の注釈も竹鼻先生がなさっていた。
 そして馬内侍集注釈も絶版、古本市場にも出回ってないようだった。
 冒頭歌の男性側ではないが、また長い片想いが始まりそうである。

参考:新日本古典文学大系 後拾遺和歌集