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わたいしの時もある

能宣と浪は言伝を頼まれる仲

筑紫へ下りける道にて須磨の浦にてよみ侍りける
 大中臣能宣朝臣

須磨の浦をけふすぎゆくときし方へ

 帰る浪にやことをつてまし

  (後拾遺/羈旅/520)

 筑紫へ下っている道中で須磨の浦で詠まれた歌で、須磨の浦を今日通り過ぎるところだと、今私が歩いてきた方へ帰る浪よ伝言を頼めないだろうか、というような意味。
 一目この歌を見て、能宣と浪、仲がいいなと思ってしまった。浪に頼み事をしているのは、海岸沿いを歩いてきたからだろうか、景色を目に入れなくても、波音というのは自然と耳に入ってくるものだったかもしれない。須磨の浦からは山道を歩くことになったのか、京都やその近辺のあたりが見えるのが須磨の裏が最後だったのか、何かの区切りを感じて、寄せては返す浪に言付けを頼んでいる。
 出張に新幹線に乗っているお父さんが、偶然隣り合わせの席になった観光目当ての旅人に、地元に戻ったら家族によろしく伝えてくれないか、と頼むようなイメージだろうか。ありそうな話でもあるが、気軽に頼めることでも無いような気がする。
 やはり、能宣と浪の関係はその場限りの関係というよりも、道中で何か意気投合したかのような気の置けない関係性が感じられてその辺りが仲良いなと思わせる要因のような気がする。
 筑紫は現在の福岡県、須磨は現在の兵庫県。「下りける」とある以上、京都からの旅路であると考えるのが妥当だろう。とすると、移動距離の半分にも満たない位置で浪に言伝を頼んでいることになる。
 出発したはいいものの、未だ京の都から離れがたく思う心が歌の核と言えそうである。
 ただ、この浪が単に能宣ゆかりの地に戻るから声をかけられたとするのはちょっと片手落ちのような気がして、能宣と浪の間にどんなやりとりがあったのか、浪が能宣にどんな感情を惹起させたのか。その辺りが謎に包まれていて、郷愁という普遍的な感情を扱いながらも、奥行きのある、読者に委ねる部分もしっかりある歌になっている。
 こういう作品の余白の部分は、人によっていろんな補い方をされる気がしていて、他の人がどう解釈しているのか興味がある。今日は読めなかった新大系の後拾遺和歌集を次に開くのが楽しみになった。