船岡の裾野の塚のかず添へて
むかしの人に君をなしつる
なぜだかこの歌が気になったので、理由を考えていた。
下の句はいいとして、上の句にわからない語彙がふたつある。「船岡」と「かず添へ」だ。
「船岡」というのは火葬場があった土地の地名らしい。「の裾野の塚の」と続くことから山裾の火葬場兼墓地だったということだろう。
「かず添へ」というのは直訳すると「数が付く」という意味で、数が多くなる、増えるという訳になる。*2
通して歌を訳すなら「船岡の裾野の塚のかず添へて」とは、船岡山の裾野の塚の数がひとつ増えて。それが、「むかしの人に君をなしつる」むかしの人に君をしてしまった(客観的にあなたが死んだということになってしまった)という訳になるだろうか。
墓の数が増えることが、強制的に人の死の受容を強いてくる、わからせてくるという歌。それは逆説的に故人をすぐに「むかしの人」として扱うことの出来ない人間の、心の理屈ではない部分の存在を前提としている。そこにこの歌の懐の深さがある。
割り切れない心に現実を突きつけるのは、塚の「かず」というギャップが痛切だ。
私がむかしの人になっているなと思うことが最近2回はあった。
更新の滞っていたこのページに、ペナルティのように広告が出ていた。和歌のことを書く人としての私はむかしの人になっているなと思ったのだ。もっと続きが読みたいと思うのに更新がないつらさは、他人のブログでも、和歌でも感じてきたはずなのに、自分でもやってしまっているというのは悲しい現実だった。
それから、あこがれの職業を半年で辞職したことを、やっと客観的に飲み込めるようになってきたこと。まず心身の限界が来たのだ。それから遅れて理解が追いついた。おはようからお休みまで働くためには、あこがれという燃料だけではだめで、コミュ力とか割り切る力とか自己肯定感とかそういうものが必要だった。*3もう二ヶ月前になるだろうか。憧れていた自分も辞職した自分も、むかしの人になってきた。
してみると、この歌に気を引かれたのは現実を受け入れたいという気持ちがあったからかも知れない。
ここからは勝手な妄想になるのだが、山の反対側は海である。あるいは船岡という地名も近くに港があることを想像させる。
山裾の斜面にある墓を見るとき、墓には自分の影が落ち、墓の後ろには、船岡山の鬱蒼とした、あるいは殺風景な山の景色が広がっている。
しかし墓から墓を見ている人を見るとき、その後ろには日の光をこまかく反射させ輝く海原が広がって見えるのではないか。