ふる雪にたくもの煙かき絶えて
さびしくもあるか しほがまの浦
(新古今/冬/674)
のっぺりと暑い夏に冷蔵庫を開けるような気持ちで、冬の歌を紹介したいと思います。
訳すなら「ふる雪にたくもの煙かき絶えて」降ってる雪のせいで藻塩を焚く煙がふっと見えなくなって「さびしくもあるか しほがまの浦」寂しい気もするなあ 塩竃の浦が、という感じでしょうか。「しほがまの浦」とは陸奥の歌枕(景勝地)だそうです*1。
この歌の核は「楽しみが埋もれてしまう」なのかなと思いました。が、もう少し考えを掘り下げてみたいと思います。
いつもの青い空に白い煙が立ち上っていく景色を楽しみにしていたのに、雪が降りしきっていてよく見えない。それが「さびしくもあるか」寂しい気もすると歌っている。
楽しみにしていた週刊誌が、じつは先週合併号だったことに気づくようなきもちでしょうか。
だとしたら「さびしくも」の「も」が他に添加してる意味があるなら「退屈だなあ」なのかなと想像しています。
「雪」は建物までの道を消してしまうものでもあります。それで訪問してくれる人もなかなか来れなくなってしまうため、「雪」は退屈や寂しさとも結びつきが強いと言えるでしょう。
してみると、空に立ち上る一筋の煙は、道のようにも見えるかも知れません。煙は誰かが訪れてくる道ではないですが、その根元に藻塩を焚く人が居ることを伝えます。
抽象的にまとめようとするなら、詠者は人の気配がないのが寂しいのかもしれません。
だとしても、それを直接に歌うわけではない。――ここまで考えて、初めて詠者の人柄の一端かもしれないものに手が届きました。あくまでもいつも見ていた煙が見えないのが寂しいのであって、別にあなたが来てくれなくて寂しいというわけじゃない、ということでしょうか*2。
仮託した人恋しさまで想像して初めて、のっぺりとした景色を歌ったこの歌が立体的に解釈できた気がしてきました。