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  守覚法親王五十首歌合に

霜まよふ空にしをれし鴈がねの

 帰るつばさに春雨ぞふる

藤原定家朝臣(新古今/春上/63)

 これは、こうして和歌を毎日紹介しようとして初めて気づいたのですが、私は夏のことがそんなに好きではないみたいです。というのも、暑さにうんざりしてしまって、夏の歌を強いて探そうと思えない。ありあまる熱を恋しがるのは冬のたのしみに取っておくとして、今日紹介するのは冬と春の間の歌です。

 訳すなら「霜まよふ空にしをれし鴈がねの」雪まじりの空にぬれながら導かれてやってきた雁が「帰るつばさに春雨ぞふる」帰るその翼には春の雨が降っている、という感じでしょうか。
 前提として、雁が秋の終わり頃にやってきて、春の初めころに去って行く渡り鳥だということを抑えておいてください。
 それにしても下の句は簡単なのに、上の句「霜まよふ空にしをれし鴈がねの」というのがめちゃくちゃな難解でした。含意が二層あったのです。しかし、それを紐解いていくと、定家の業のようなものまで見えてきました。上の句が難解な分、いつもより語釈を丁寧にやっていきますが、どうかお付き合いください。

 まず「霜まよふ」と言う表現。これがまあ見ない表現で、少なくとも、和歌が最も栄えた約300年間の八つの勅撰集(現代で言うところのベスト盤)の中に同じ表現が登場することは一度もなかった。この珍しさ、おそらく定家が初めて手をつけた表現でしょう。
 この表現じゃないといけない理由があったのでしょうか。
 「まよふ」の意味はたくさんあり、現代でも使う「道に迷う」の意味の他に、入り交じる、紛れるという意味で使われます*1。今回はこの入り交じるの意味を取り、秋の終わりの、雨の雪の交じるみぞれのような天気を想像しました。ちょうど雁がやってくる、冬になりきる少し前、秋の終わりの天気としてふさわしいと思ったからです。

 続いて「しをれし」、もとい「しをる」は漢字が【萎る】【枝折る・栞る】の二種類ありまして。ここを解釈していくのがとても楽しかった。
 【萎る】①(植物が)生気をなくす。しおれる。②気落ちして元気をなくす。しょんぼりする。③ぐっしょり濡れる。ぬれそぼつ。と3つの意味があります*2。手持ちの旧大系では「弱りやつれて」と②の意味で解釈していますが、本ブログでは③の「ぐっしょりぬれる」の意味で訳しました。先ほどみぞれ交じりと訳した「霜まよふ」に意味が連なるようにです。ここで「霜まよふ空にしをれし」の含意①「雪交じりのみぞれの空に濡れる」がわかりました。
 しかしこれだけでは「霜まよふ」という珍しい語を使う理由にはならないでしょう。そこで【枝折る・栞る】です。
 【枝折る・栞る】①山道などで木の枝を折って、帰り道の、あるいは後から来る者の、道しるべとする。②道案内をする。と2つの意味があります*3。①は具体的な行為で、②はそれをもう少し抽象化して単に「道案内」の意味に派生したんでしょうか。
 ここに来て、ようやく「霜まよふ」という珍しい語を使った定家の意図が見えてきました。「霜まよふ」は雪交じりの天候の中では、飛ぶ方向(道)がわかりにくい「霜(のせいで道に)まよふ」という含意もあったのでしょう。
 毎年同じ秋の終わりにやってきて、春のはじめに去って行く渡り鳥、雁。「霜まよう空」(雪交じりの天候)は、雁に飛ぶ道を「まよ」わせるのと同時に、移動する時期を教えてくれる、季節を「しおれし」(案内してくれた)ものでもあった。「霜まよふ空にしをれし」の含意②は「道を迷わせるみぞれの空に、移動する季節を教えてもらう」でしょう。

 ここまで考えてきたことをまとめます。
「霜まよふ空にしをれし鴈」は含意①「雪交じりのみぞれに濡れる雁」という単なる状態と、含意②「道を迷わせるみぞれの空に、移動する時期を教えてもらう雁」という毎年同じ時期に来て去っていく渡り鳥の不思議な生態に対する定家なりの考察、この二つが同居しているのではないでしょうか。
 この情報を17文字に圧縮するには「まよふ」と「しをる」この二つの掛詞の対応が不可欠だった。ここまで考えて初めて、定家が希少語「霜まよふ」を使わなければならなかったことに納得できました。57577という有限を、めいっぱい使うための機知。その核が「霜まよふ」だったのですね。

 ここまでは語彙の解釈を通して、この歌の理屈の部分を見てきました。
 ここからは感情の部分を見ていきたいと思います。
 最初にこの歌を読んだ時感じたのは「泣きっ面に蜂」でした。晩秋のみぞれに濡れながらやってきて、春雨に濡れながら帰る。雁、かわいそうじゃないですか。
 でも、「霜まよふ空にしをれし」を解釈していくうちに、定家の歌人としての技の巧みさ、日常の景物に対する思考の厚み、この二つが明らかになりました。歌人として、人としての熱量に圧倒されました。
 雁についても調べました。鳥類は人間よりも体温が高いそうです。それはいつでもすぐに羽ばたき飛ぶためのアイドリングに必要だからとも言われています。そして、自らが生きやすい気温の地域に、自分の力で移り住む。雁にはそれができる。「泣きっ面に蜂」「かわいそう」私が抱いた第一印象は見当外れと言えそうです。
 冷房の効いた部屋で過ごしていた私は、この歌の語釈、背景理解を進めるうちに自分の消極的な部分を変えなければいけないような気がしました。
 夏の暑さを疎んで初春の歌を読んでいたはずが、定家と雁の熱にすっかりあてられてしまったというわけです。

 

*1:参考:三省堂全訳読解古語辞典

*2:参考:同上

*3:参考:同上