わたいりカウンター

わたいしの時もある

何なれや

草枕結う手許(ばかり)は何なれや

 露も涙も をきかへりつつ

(後撰/離別 羈旅/1366)

 野宿するときに、そこら辺の草を集めて丸めて枕にしてるときに泣いちゃった歌。
 「かへり」は、「辺りは静まりかえっていた」の「かへり」で「ひどく~する」の意味。訳すなら「枕結う手許(ばかり)は何なれや」草枕作ってる手元がさ、何なんだろうね、「露も涙も をきかへりつつ」露でも涙でもびっしょり濡れててさ、という感じでしょうか。

 詞書きも詠者も書かれていないのですが、新大系*1では前歌1365番の前に「京に思ふ人侍て、遠き所よりまうで来ける、道に留まりて、九月許に」「よみ人知らず」とあるのを指摘し、暫定的にこの歌も同じ状況、詠者としています。
 思い人の所に遠いところからかえってくる時に、ふと泣いてしまう。暫定的とはいえ新大系の説は少し不思議です。遠いところに言っている間につらいことがあったのでしょうか。もうしばらくしたら恋人に会えるのに?
 しかし前歌を見ると、鹿の求愛の声を聞いて感情移入してしまって悲しいと歌っていました。確かに、きっかけがあって泣いているなら、それを続けて描写するのは自然です。

 しかし、独立した一首として仮定してみました。これらは誤読の可能性が高いのですがそれでもあと2通りの解釈を考えました。

  ひとつは、気軽な世間話としての誇張表現。単に枕が濡れていて、手も濡れてしまったので、俺もつらかったわ~というくらいのテンション。どちらかというとしんみりと言うより、ネタにして自分の中で一段落するのが目的というのはありそうかなと。

 もうひとつは、緊張の糸がぷつんと切れてしまったのを克明に描写した説。生活の中で皿洗いしてるときとかに、ふと泣きたくなったことないですか? これから寝ようってのに草枕が濡れている。その感触でふっと我に返って泣いてしまったのではないでしょうか。
 友達にこないだの出張どうだった?と聞いたら、いや新幹線で泣いちゃってさ。と答えられたときのような、しんみりした親密な打ち明け話のような雰囲気がこの歌にはある気がします。