題不知
こりつめて真木の炭やくけをぬるみ
大原山の 雪のむらぎえ
和泉式部(後拾遺/冬/414)
こないだ出先でゲリラ豪雨にあいまして。屋内に避難して、さていつ止むものかなと雨雲レーダーを見ていたのですが、どうにもわからない。過去の雨雲の様子は見ることができても、未来の雨雲の行先は表示されないのですね。わかったのは自分のいるあたりの表示がちょっと笑ってしまうくらい真っ赤になっているということだけでした。
さて冒頭の歌は遠くから炭を焼いているのを見つけた歌です。
訳すなら「こりつめて真木の炭やくけをぬるみ」木を集めて檜の炭を焼くと空気が温かくなるから「大原山の 雪のむらぎえ」大原山のあたりはところどころ雪が消えて(山肌が見えて)いる、という感じでしょうか*1。
詠まれた状況を考えていた時、最初は妙だなと思いました。というのも、炭を焼いているなら雪が消えていることよりも先に、立っている煙に目が行くと思ったからです。
しかし、それは間違いでした。それを詠まなかったことからもわかる通り、以前紹介した歌*2のように空も地面も雲と雪で真っ白になっている。それで、煙が見えないのですね。
でも、あそこで炭を焼いているのがわかる。熱気が周囲の雪を溶かして、地面が露わになり周りと違う色に見えるから、とこういう歌だったのですね。
貴族があったかい場所から、寒い場所で働いている庶民を眺めている歌と考えることもできるでしょう。そう考えると少し悪趣味です。けれど、こんな大変な天気の中頑張っている人がいる、そう考えて自分を鼓舞するようなこともまたあるでしょう。
この景色を見た後、和泉式部の感情がどうんなふうに動いてたかまではわかりません。けれど、この景色に注目した理由は歌に詠まれた通りでしょう。
一面真っ白な景色に飽き飽きしていたら、なんだか違う色が見える。ああ、炭を焼いていてあったかいからか! と理由がわかった面白さ。目で見て温度がわかる愉快さは、あるいは雨雲レーダーでどこにどのくらい雨が降っているかわかる楽しさに近いかもしれません。