わたいりカウンター

わたいしの時もある

耳で見て、目で聴く

 題知らず

藻刈舟今ぞ渚に来よすなる

 汀の鶴の声さはぐなり

よみ人知らず(拾遺/雑上/465)

 今日は暑い日でした。
 投票所に行く途中、前を親子が歩いていました。ショルダーバッグを肩にかけた母親と、小学生らしき兄弟。
 気づくと彼らの髪に目が釘付けになってしまいました。強い日差しの下、男子小学生の兄弟と思しき2人の髪が信じられない程のキューティクルを放っているのです。確かに私が癖っ毛でついつい髪の綺麗さに見惚れてしまうというのもあるでしょうが、それにしても目を引く。
 弟はまず間違いなく小学校低学年といういでたちです。整髪料をつけているはずがない。ならばこの光沢は一体……と考え込んでいたら、母親の片手に何やらカラフルな物が見えます。なるほど、水風船。
 服が濡れていないのは、母親にショルダーバッグに着替えのシャツが入っていたのでしょう。

 冒頭歌は港に船が戻ってきたのを、鶴の声で勘づくという歌。
 訳すなら「藻刈舟(もかりぶね)今ぞ渚(なぎさ)に来よすなる」海藻を採る船がちょうど今、浜に戻ってきたみたいだ「汀(みぎわ)の鶴(たづ)の声さはぐなり」浜辺の鶴の声が騒がしいから、という感じでしょうか*1

 同じ場所にずっと住み慣れてくると、よく聞こえる音に驚かなくなりますよね。それどころか、なんでその音がするのか理由もわかってくる。音がしている場所で何が起きているか目に浮かぶわけです。その、耳で見えるという面白さ。
 ある地点で長く時間を費やさないとわからないことを教わるの、ありがたいし楽しいですよね。
 時勢も現在形ですし、実際に音を聞いての歌でしょう。とすると、これを伝えるのは普段同じ場所で日常を共有してる人に、ではなく、訪ねてきた友人など来訪者にですよね。
 ここからは妄想になるのですが、海近の友達の家*2で聞こえてきた鳥の声を、解説してもらったみたいな気持ちになりました。「へーこのあたり海藻採ってるんだ、漁港行って新鮮なやつ食べたいな」とか応えて友人との行楽をスタートさせたいところ。

 見えないものを音を聞いて想像する歌に惹きつけられたのは、水風船合戦帰りの親子を見て、水風船の飛び交い破裂する音や楽しそうな声を想像してしまったからです。

 

*1:参考:「拾遺和歌集新日本古典文学大系

*2:海の近くに住んでいる友達に心当たりはないです。