わたいりカウンター

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水の中でも

まだ知らぬ思ひに燃ゆる我が身哉

 さるは涙の河の中にて

(拾遺/恋五/962)

 スーパーで生餃子という商品を見かけたことはあるでしょうか。九個で百円くらいのリーズナブルな価格帯、溢れ出る肉汁と香味野菜の強い香り。食卓に、酒のお供に、重宝している人も多いことでしょう。しかし、あいつは私の因縁の相手でもありまして。

 冒頭歌は前代未聞の恋に燃えている人の歌。
 訳すなら「まだ知らぬ思ひに燃ゆる我が身哉」未だ感じたことのない恋心に燃えているのは私の身体!「さるは涙の河の中にて」燃えているっていうのは涙の川の中でなんです(ね、聞いたことないでしょう?)、という感じでしょうか*1

 恋がうまく行ってない時の悲しさを、涙が川になっちゃうなー、と例える。
 恋心を募らせていくのを、燃えるような思い、と表現する。
 恋を歌うに際し和歌の定型表現を重ねてみたら、どうにも理屈が合わない。あれ?でもこれも自分の恋を強調する論理に援用できるのでは? たぶんこういう理屈で作られた歌なのかなと思います。
 個人的に恋の歌はそんなに得意ではないのでいっそう感じるのかもしれないのですが、きついですね。
 こう、自分が変なこと言っているって自覚のあるタイプのアプローチって、自分の中で理屈の堂々巡りがエンジンみたいに熱を伴って冷静さを失わせていった結果だと思うので、気持ち悪さ半分、我が身を振り返り頭を抱えるのが半分でとてもリアリティのあるいい歌だなと思っています……います。

 さて、宿敵の生餃子の話なんですけど、あれほんと美味しいんですよ。美味しいんですけど、うまく焼けた試しがないんですよね。フライパンとの接地面がどうやってもこびりついてしまう。
 そうするとフライパンを洗うのも大変だし、餃子は餃子の体をなさないしで、かなりの敗北感を味わう羽目になります。それは嫌なので、たまにしか買えない。
 好きだけどなかなか手を出すことができないこの矛盾した感情を、涙の川の中で恋心が燃えるこの歌に重ねてしまいました*2

 それにしても餃子のやつ、油をたくさんひいても、フライパンに置く前に接地面に油を塗っても、蒸し焼きにしている時に一度接地面との間にフライ返しを入れて焼き加減を調整しても、うまく焼けない。
 蒸し焼きの沸騰したお湯の中では燃えはせずとも、餃子は焼けてしまうのですね。

 

*1:参考:「拾遺和歌集新日本古典文学大系

*2:我が身から目を逸らすためかもしれませんが……