だいしらず
山のはに雲のよこぎる宵のまは
出でても月ぞ 猶またれける
道因法師(新古今/秋上/414)
この歌に、疫病の流行る昨今と少し重なる感情を見た気がしました。
月が見たいのに、地平線の次は山の端の雲に遮られてる、という歌。
宵というのは夜の中でも、日没から夜半くらいを指す言葉。詠者が月を楽しみにしていたのは夜になる前から、日没を待っていたのでしょうか。夜になった!という気持ちが「夜」でなく「宵」という語が選ばれているところから想像できます。
訳すなら「山のはに雲のよこぎる宵のまは」山の端に雲がかかってしまう夜になったばかりの頃は「出でても月ぞ 猶またれける」地平線から月が出ても、まだ待たされてしまうなあ、という感じでしょうか*1。
まだ待たされてしまう、というのは悲鳴のようでいて、まだ待ててしまう月への愛着、期待感の裏返しでもある気がします。
疫病が収まったり流行ったりすることで、日常からお祭りイベントまで、楽しみが延期になったりすることがよくあります。「いつまでも待ってます」というスタンスのオタクは遥か昔からいたんですね。