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わたいしの時もある

好きな「時雨」の歌 〜古今和歌集編〜 

 このあいだハムスター短歌を紹介したときに、特定の語彙を含む歌を集中して読むのが存外にたのしかったので、和歌集でやってみようかなと思います。
 というわけで好きな「時雨」の歌 〜古今和歌集編〜 です。
 15首の中から、3首選んできました。どうぞお付き合いください。
 

しらつゆも時雨もいたくもる山は
 下葉残らず 色づきにけり 

つらゆき(古今/秋下/260)

 秋の雨、時雨(しぐれ)が落葉広葉樹の葉の色を変える。オーソドックスな「時雨」の歌として申し分ない一首。「いたくもる」木の下にまで雫がこぼれ落ちてくる山は歩きづらそうですが、そのおかげで葉がむらなく綺麗に染まったことを歌っています。4句目「残らず」が読者の想像する世界の規模を押し広げていて好きです。

今はとて我が身時雨にふりぬれば
 言の葉さへに うつろいにけり

をののこまち(古今/恋五/782)

 紅葉はきれいですが、新緑の頃の生命力が失われていく合図でもあります。
 「時雨」が降って葉を染めてしまうように、時間が経って我が身も老い衰えてしまったと歌っています。
 それに加えて「言の葉」約束までもうつろってなかったことになってしまうんだなあ、と時雨が葉の色を変えてしまうことにまで感情を託して、約束を破った不愛想な相手にプレッシャーをかけています。
 景色を歌いながらそこに感情も重ねる研ぎ澄ませた技巧そのものに、恋の歌としての凄みがあって、こわくて好きな歌です。

神無月時雨もいまだ降らなくに
 かねて移ろふ 神奈備のもり
 (古今/秋下/253)

 最後は時雨が降らない歌。
 神無月で時雨がまだ降らないのに、前もって葉の色が変わっている神奈備の森だなあ、という歌。
 時雨が葉の色を変えるんじゃないの?まだ降ってないのに変わっているぞ、という気づきから生まれた歌でしょう。
 おもしろいのは「神無月」「神奈備のもり」と神様を絡めて形にしているところです。
 「もり」は森であり、杜→神様のいるところというニュアンスもあります。もりにいる神様も、神無月は出雲に行かなくちゃならない。でもそろそろ森の葉の色変えなきゃだ。どうしよう。せや!時雨降ってないけど前もって葉の色変えとこ! と、こういうちょっと雑な神様像が薄目で読むと見えてきませんか?
 神様云々は考えすぎかもしれませんが、哀しいイメージのある時雨が降ってないのも相まって、明るい葉の色を素直に楽しめるのもうれしいところ。


 読んでみると、時雨とは葉の時間を進めてしまう秋の冷たい雨であり、哀しさと涙、その両方のニュアンスを持った稀有な3音だったということがわかりました。秋という季節の「寂しい」イメージの定着に一役買いながら、その葉を染める理屈を恋に神様に重ねられて重宝された語彙に見えます。
 歌に理屈があるから考えるのがたのしいですね。後撰和歌集編も近いうちにできたらと思います。