わたいりカウンター

わたいしの時もある

つらさを落として歩く

  とものあづまへまかりりける時によめる
白雲のこなたかなたにたちわかれ
 心をぬさとくだくたび哉
よしみねのひでおか(新古今/離別/379)

 

 よせば良いのにつらいことばかり考えてしまって、心が閉じてる時があります。
 そういう時に歩いていると「もしここでうずくまって泣き始めたら少しは楽になるだろうか」と考え始めます。もちろん実際にはしない。しないけれど、足を止め、人目を気にせず感情を爆発させた想像上の自分が背後で何人もうずくまっているような想像をしながら歩を進める。そういう時があります。
 冒頭歌は、友達が遠く(東)に出張してしまう時のもの。
 訳すなら「白雲のこなたかなたにたちわかれ」白い雲がこっちとあっちに断たれてしまって「心をぬさとくだくたび哉」心を幣の代わりにくだく旅(を君はするの)だなあ、という感じでしょうか*1
 白い雲が二つに分かれてしまうのを、友人との別れに見立てるのは表現としては類型的ですが「心をぬさとくだくたび」これにやられました。
 幣(ぬさ)は旅の無事を祈り道中で神にお供えするもの。もみじで代用した歌は知っていますが、砕けた心を供えるとは!
 いいえ、歌としては実際に供えたのではなく、友人に「君の旅はつらいものになるね」と伝え迂遠に慰める想像上のものです。
 けれど、つらい感情を道に落としながら歩く感覚はちょっとわかるなと思ってしまいました。