わたいりカウンター

わたいしの時もある

心が空になる

  陸奥へまかりける人に、扇調じて、歌絵に書かせ侍ける
別れゆく道の雲ゐになりゆかば
 とまる心もそらにこそなれ
よみ人しらず(後撰/離別 羈旅/1324)

 今日は閉塞感と目があってしまって気分が落ち込んでいました。落ち込んでいる時は後撰集が効く気がします。理屈というのもなくて、気づいたら吸い寄せられています。
 冒頭の歌は陸奥へ出張する人へ贈った扇に書かれたという餞別の歌。読んだら少しだけ気分が楽になったので、紹介させてください。
 訳すなら、「別れゆく道の雲ゐになりゆかば」別れて(陸奥へ)歩いていった道が雲の向こうへ行って(見えなくなって)しまったので「とまる心もそらにこそなれ」(都に)留まる私のこころも上の空になってしまいます、という感じでしょうか*1
 「雲ゐ」の縁語「そら」が効いて、ただ別れを悲しむ歌ではなくなっています。
 ともすると、見るたびに別れのつらさを煽ってしまうかもしれない扇です。しかし別れによって呼び起こされる感情が「そらにこそなれ」うわの空になってしまう、というのがやさしいなと思いました。
 遠くでふと別れた友のことを思い返すとき、その後襲ってくるのは友がそばにいない孤独感ではないでしょうか。でも扇に「私もあなたとの別れにうわの空になっている」と書かれていたら、相手も同じ気持ちかもしれないと、少しだけ相手を身近に感じられると思うからです。