題しらず
龍田河紅葉乱れてながるめり
わたらば錦中やたえなむ
よみ人しらず(古今/秋下/283)
もし、私がいないほうが世界が滞りなくまわるなら。そんなことを考えるときがあります。後ろ向きですね。
そんな問をたてる時点で、私は「滞りがない」という状態に夢を見ているのだと思います。
歌を訳すなら「龍田河紅葉乱れてながるめり」龍田河で紅葉が乱れて流れているみたいだ「わたらば錦中やたえなむ」河を渡ったら錦が途中で裂けてしまうだろうか、という感じでしょうか。
上の句で実直に龍田河の紅葉が流れる様子を描き、それを下の句で錦に見立ててせっかくきれいな河の流れを遮ってしまうことを気にしています。
その心配が、ひるがえって紅葉流れる龍田河の美しさを描くことになっている。
私はその美しさよりも、思い入れの強さに足がすくんでしまう詠者の恐怖に吸い寄せられてしまいました。
ときめきを壊さないように前に進む方法はあるのでしょうか。
日本古典文学大系の頭注「わたらば」の項に励まされたので、それを引用させてください。『○わたらば―川をわたったら。橋の少い時代で水の中をじゃぶじゃぶ行くのである。』