わたいりカウンター

わたいしの時もある

人目があると

  河に寄する
絶えず行く明日香の川の淀めらば
 故しもあるごと人の見まくに
 (万葉/巻七/1379)

 困っている時、見ず知らずの人に「大丈夫ですか?」と心配されて、素直にその人を頼れる人はどのくらいいるのだろう。私はそう聞かれた時点で申し訳なさで一杯になり、首をブンブン振り顔に笑顔を固めて「大丈夫です!です!」と言いながらそそくさと退散してしまうだろう。
 歌を訳すなら「絶えず行く明日香の川の淀めらば」絶えず流れる明日香川か淀んだなら「故しもあるごと人の見まくに」理由があるって他人に思われてしまう、という感じでしょうか。
 ほんのり恋の歌の気配がします。いつもと違う自分がバレてしまうのを「人の見まくに」他人に見られてしまう! って怖がっています。自分で落としどころの見つけられてない感情が、相手に伝わってしまったら制御が効かなそうで確かに怖い。
 でも、悪いことをしていないなら堂々としていたらいいのにーーそう思ってから、それができていない自分のことがなんだか強烈に恥ずかしく思えてきました。
 詠者は、平時の自分を「絶えず行く明日香の川」に自分を託しているあたり、普段はちゃんとやれてるって思ってるのだと思います。私も、最近までそう思っていました。なんとか上手くやれてるって。でも少なくとも自分は、周りから見るとそんなに上手くやれてなかったんですよね。
 ひと目を気にせず、もう少しおおらかに生きていたいと思う反面、それができりゃ苦労せんわという気持ちもあります。名前の残らぬこの歌の詠者は、人目を気にする自分のことをどう思っていたのでしょうか。