わたいりカウンター

わたいしの時もある

「片糸」は片思いか両思いか


 糸に寄す
河内女の手染の糸を繰り返し
 片糸にあれど絶えむと思へや
 (万葉/巻七/1316)

 冒頭歌を読んで、「片糸」という言葉がどんな状況や思いを背負っていたのか考えてみたくなりました。
 まず「繰り返す」は何度も巻つける動作を示すそうです。現在使われている「繰り返す」の原義を見た気がして、英英辞典を読んだような興奮がありました。
 で「片糸」です。まず物としての説明を。昔は2本の糸をよって使うのが一般的だったよう。それが1本だから「片糸」と言われる。丈夫ではない脆い糸としてのイメージがあったようです。
 その「片糸」という語彙にどんな感情が託されたのでしょうか。ここが気になっています。手元にある旺文社文庫と日本古典文学全集では「片糸」は、脆い糸であり、片思いのことだと訳しています。
 脆いは分かるのですが、片思い、というのは少し飛躍がある気がするのです。もともと2本になるはずだった1本であるなら、結ばれる定めにあったのではとも思うのです。
  つまり「片思い」の意味かもしれないし、「両思いからの離別」かもしれない。
 「手染め」という語彙に双方向の関係性を見出しすぎなのかもしれません。
  歌の核としては、あなたいろに染まった思いは片糸のように脆いけれど、何度も繰り返し巻つけて丈夫になるみたいに、何度も思い出して忘れないよ、という歌で、そこに両思いも片思いもないかもしれません。
 むしろ一方的な宣誓であるところに、「片思い」説を補強する要素があるでしょうか。いろんな意見を聞いてみたいです。