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人の知るべくってなにさ!(万葉集の「片糸」歌2/2)

片糸もち貫きたる玉の緒を弱み
 乱れやしなむ人の知るべく
 (万葉/巻十一/2791)*1

 片糸、やっぱり気になるんですよね。
 手元にあるものでできるだけ調べたところ、万葉集で片糸が詠まれたのは昨日の歌と冒頭の歌だけらしい。用例が少ないので、片糸とはこれだ!という答えは見つからないかもしれないが、冒頭歌のことを考えたい。
 「もち」は「用いる」の用ですかね。「片糸もち貫きたる玉の緒を弱み」片糸で糸を通した玉の結び目が弱いので「乱れやしなむ人の知るべく」(紐がちぎれて)乱れたりしないかな。人が知ってるように(みんなが知ってるみたいにさ)、という感じでしょうか*2
 片糸は、本来2本で撚り合わせるべきところを1本で使っている紐のこと。それで玉を結んだら脆くて千切れないか不安だ、という歌です。
 それにしても「人の知るべく」という表現は、最後に急に出てくるし、後付けで「これは一般論ですけどね」って自分の感情を濁してる感じがして、少しむかつきました。あなたがそう思ってるなら、誰に伺いを立てるまでもなく不安でいいじゃない。
 片糸の働きはどうでしょう。物体として1本である脆さが「弱み」につながる他に、糸を通す玉の穴が細かったから普通よりも細い片糸を使った可能性もある気がします。
 概念としての片糸はどうでしょう。この歌も片想いという感じがしません。結びつきが脆い不安は、本来2本でよられる紐が1本である片糸で端的に表されている。片糸歌は2首とも、ひとつだったものがふたつに別れてしまった感情を歌う時に片糸に託してる気がします。
 「人の知るべく」は誤訳だったかもしれません。「べく」の当然の意味に引っ張られて「人」を世間みたいな意味に解していました。けれど「人」は「玉」宝石みたいに大事な人で、離ればなれになった相手も不安だよな、と自分の不安を言葉にした後で相手の不安に思いを馳せている可能性もあるかも。
 また最初に訳した「みんなが知ってるみたいにさ」と共感を求める意味だったとしても、誰かにわかって欲しいくらいには不安だったのだな、と詠者の心細さが見えてきました。むかつくのはお門違いだった……。
 「心細い」という語が万葉の時代もあったかはわからないのですが、「片糸」という語彙にぴったり合うニュアンスだと思えてきました。
 歌が少ないのは、糸を紡ぐ技術の発達でもあったのでしょうか。「片糸」、もっと流行って欲しかったな。
 

*1:「物に寄せて思を陳ぶる歌三百二首」のうちのひとつです

*2:参考:旺文社文庫「現代語訳対照 万葉集(中)」