わたいりカウンター

わたいしの時もある

ほととぎすとスマホ

あしひきの山郭公わがごとや
 君にこひつつ いねがてにする
 (古今/恋一/499)

 スマートフォンに来る返信を待ち遠しく思っている時、ついつい布団の中でホーム画面を何度も確認してしまうことがある。
 「いねがてにする」とは寝かねている、眠れずにいるということ。山ほととぎすも自分みたいに誰かへの恋心に眠ることができないのか、という歌*1
 あっさりした恋のはじまりを歌った歌だけど、妙に気になる。面白いことをしている気配があるのだ。
 まず、ほととぎすををどうやって認知したのか。ここが気になる。歌の中では明言されていない。
 ただ、眠れずにいる、眠れないことに困っているようすなので時間は夜なのだろう。とすると、目で見て気づいたというよりも、声を聞いてほととぎすももまだ起きていることを知った可能性が高い。夜、眠れずに手持ちぶさたで起きていると、暗くてあたりが見えない分、耳からの情報に敏感になる。夜中まで起きているのは自分だけじゃなかった。ほととぎす、お前も誰かを想って眠れないのか? そう詠者は思ったのかもしれない。
 使える感覚がしぼられる分、意識がそこに集中する。電灯などなかった、平安時代の暗い夜において、いろんな音を耳が拾ってしまうというのは、多くの人が体験してる感覚なのだろう。この一つの感覚に集中してしまう、というのは何も音だけではなく、誰かのことが気になってしょうがない恋そのものをも歌っているのかもしれない。
 スマートフォンは返事を待っている時ほど静かで、私なんかよりも多分よっぽどぐっすり眠れていると思うので、ほととぎすを見つけられた詠者がちょと羨ましい。