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わたいしの時もある

花のかげ2首

今日暮れて明日とだになき春なれば
 立たまく惜しき花のかげかは

みつね(躬恒集/388)

 源氏物語藤裏葉を読んで「花のかげ」という言葉が気になったので調べていました。
 春が過ぎるのを惜しんで、美しい景色の中で動きたくなくなってしまう歌が2首ありました。「花のかげ」の歌が引き継がれ、進化している様子が見て取れてなんだかうれしかったので紹介させてください。

 ひとつは冒頭歌。明日にはもう見られない春だから、花のかげから立ち去ってしまうのが惜しい、と歌っています。「明日とだになき春」からどんな「花のかげ」が想像されるでしょう。今日がピークとわかるくらい満開でこれから散ってしまうことまで思わせる花でしょうか。晩春の葉に混じってまばらに残った花でしょうか。
 「立たまく惜しき」で後ろ髪を引かれる様子とともに、立てずに「花のかげ」花咲く木の下から動けない気だるさが描かれています。あたたかくて花に囲まれた春の日の木陰の引力が文字越しに伝わってきて、ちょっとうつらうつらしてしまいました。ねむい。

  花の、庭に散りて侍りける所にてよめる
花のかげたたまく惜しき今宵かな
 錦をさらす庭と見えつつ
清原元輔(後拾遺/春下/139)

 もうひとつも「花のかげ」から「たたまく惜しき」ですが、時間が「暮れて」日中から「今宵」夜になっています。
 そして何より「錦をさらす庭」!! 新大系の脚注によると「たたまく惜しき」の「たた」は「立た」と「裁た」の掛詞になっていて、落ちた花びらが錦のようでそれを踏むと途切れてしまうから「裁たまく惜しき」裁ってしまうのが惜しくて「立たまく惜しき」立ち去るのが惜しいという歌になっています。
 夜、庭に散った花びら故に「花のかげ」から立ち去れないというイメージは、あたたかな冒頭の歌と比べてどこか寂しげです。つめたい雰囲気に目が覚めました。