わたいりカウンター

わたいしの時もある

晴れてはないけど

はれやらぬみ山の霧のたえだえに
 ほのかに鹿の聲聞ゆなり
 (山家集/上秋/300)

 昨日すごい決意を固めていた風だったけれど、今日は日がなSplatoon3の体験版をプレイしていた。あんまり外に出られないし、しょうがないけれど、体験版の12時間の制限時間のうち1時間半ほどやらなかった。他にやることはないのか。まあ日曜日は何かと混むし、買い出しは、スーパーが混んでなさそうな平日の昼過ぎに行こうと思う。しかし、症状はないが検査をしたわけでもなく、規定に従って何日か自宅待機をするというのはなんとも、宙ぶらりんではある。
 
 さて、そんなにはっきりしない景色と声の組み合わせが、はっきりとストロングポイントになっている冒頭歌。「たえだえに」が上の句の「晴れやらぬ山の霧」にも、下の句の「ほのかに鹿の聲聞こゆなり」にも響いているのが楽しいところです。
 「はれやらぬ」のやるは現代語で言うところの「思いやる」の「やる」で、自分から遠く離れたところまで直前の動詞の影響が及ぶことを意味する。「山の霧」は遠くまで広がっていたんですね。
 見晴らしの悪さは、単に景色を楽しめないだけじゃなくて、旅が危険になることも意味していたと思います。なので、霧が途切れとぎれになって、ほのかに鹿の声が聞こえてきたのを、西行は旅の安全の気配として感じたかもしれません。
 57577の中で、感情が述べられているところはありませんが、西行の歌詠みとしての気づきは三句目「たえだえに」を上下の共通点として歌を作ったところに発揮されている気がします。
 周囲の景色を楽しみながら、ほんのり未来に期待するところがよかったです。