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わたいしの時もある

宿題後回し癖

世の中を何に喩へむ朝開き
 漕ぎ去にし舟の跡なきごとし
 (万葉/巻三/雑歌/沙弥満誓/351)

 八月末に買い出しに行った時のことだ。スーパーの清涼飲料水エリアからエナジードリンクがごっそりなくなっていた。夏休みの宿題の追い込みにと求められたのだろうか。なんだかシンパシーを感じてしまった。私も最終日になって、今日やるほかに選択肢がないことを確認してから手をつけるタイプの人間だったからだ。
 冒頭歌を意訳するなら「世の中って、夜明けと同時に漕ぎ出していった舟の通った跡が、全然残らないみたい感じだよな」というような感じでしょうか*1
 「跡なき」という言葉は「はかない」「頼りない」の意味もあるらしく*2、とても無常感のある歌です。過ぎてゆく時間の不思議を歌った歌でもある気もします。自らの連続性をどう証明するか、みたいな。
 また歌の根っこには、陸路なら多くの人が通れば、踏み固められて道ができていくものですが、水上では道はできないという含みもありそうです。
 宿題を後回しにする、或いは毎日の更新を日付変更ギリギリに試みるみたいな自転車操業人生でいいのだろうか、とふと疑問がよぎってしまいました。死が近づくにつれて、若くなっていくなら、貯めていたやりたいことなんかも活動的に取り組むことができるでしょうが、実際はその逆です。当たり前のことですが、宿題を後回しにするって、突き詰めていくと悲しい末路が待っているようなことなんでしょうか。
 そこまで考えて、そういえば「世の中」という語には「男女の仲」という訳し方もあることに気づきました。嘘だろ。ここまですごい真面目に自分の人生振り返っちゃったのに、もしこれが相聞だったら悲しすぎる。だって、男女の仲が「朝開き漕ぎ去にし舟の跡なきごとし」って、じゃあ今夜のことはお互い後腐れなく、みたいなことじゃない?めっちゃチャラいじゃん!根暗な同類だと思ってたのに!*3気の合う友人と話していたつもりが、恋愛のフットーワークが軽い陽キャに懺悔していたみたいな気持ちになりました。*4

*1:参考:「萬葉集 2」日本古典文学全集

*2:参考:同上

*3:言いがかりがすぎる

*4:そのあと仲良くなれたらいいじゃん