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泣いて惚気を聞く

  おもひかけたる人、寝たるを見て
うき事に夢のみさむるよの中に
 うらやましくも寝られたるかな
 (実方集/152)

 楽しみにしているものの発売日の前日なんかは、わくわくして眠れないということがありますね。けれど、それで眠れない夜を過ごすくらいなら、その夜に配信してくれた方が楽しく過ごせてうれしいというのはあると思います。今夜日付が変わったら、ついにSplatoon3発売です。
 そんな特別な日なので、もったいなくて少しずつ読むと決めている「実方集注釈」を読むことにしました。それで心惹かれたのが冒頭歌。
 訳すなら「うき事に夢のみさむるよの中に」つらいことに、夢だって覚めるくらいの間柄(だと思っていた)のに「うらやましくも寝られたるかな」うらやましいことに(あなたは)寝ていられるんですね、という感じでしょうか*1
 詞書に「おもひかけたる人、寝たるを見て」とあり、夜、会いに行ったら相手が寝ていた時に詠んだものだということがわかります。
 「よの中」というのは「世の中」男女の間柄というのと「夜の中」夜の間、寝てられるのですね、という二つの意味がかかっています。
 気になるのは「うらやましくも」です。現代語にもあるこの言葉ですが、古語ではそのままのプラスの意味と同時に「ねたましい」というようなマイナスの意味での切望も示します。この歌ではどちらのニュアンスで使われているのでしょう。その鍵は初句の「うき事に」にあるようです。

 この「うき事」つらいこと、というのは何を指しているのでしょう。私は一読した際、相手がのんきに寝ているのが「うき事」だと思いました。なんだ、夜も眠れないくらい思っていたのは私だけなのか、という実方の失望や悲しみが「うらやましくも」に込められているのだと。つまり「うらやましい」というのを皮肉で使っている、マイナス寄りの表現だと思ったのです。
 でも「ねえねえ実方くん、いいでしょ、私、今日の夜からSplatoon3ができるんだ〜」と煽り気味に話しかけてみても、実方はそれがどうしたの?というような素振りで、そんなに悲しみに浸っている感じじゃないんですよね。なんでい、悲しそうにしてたら一緒に遊ぼうぜって言おうと思ってたのに。
 というのも、竹鼻注釈では「うき事」の説明に『つらいこと。実方と女との間に思うようにいかないことがあったのだろう。』とあります。つまり、相手が寝ていることがつらいのではなくて、夢が覚めるくらいにつらい事が以前にあった、と解釈しているのですね。
 だとすると「うらやましくも」をどう解釈するか、もう一度考えなくてはいけません。竹鼻注釈ではこの歌の補説の中で『夢さえも覚めてしまうほど、実方は懊悩している。それとは対照的に女は安穏として眠っている。それをいとおしむように見つめている。』と書いています。
 それを読んで、うんうん悩んでいるうちに、これは実方が恋愛相手に何を求めているか考えなければいけない気がしてきました。
 相手と自分が同じように考えること、それはそれで尊いことでしょう。それを確かめ合えるのはうれしいと思います。歌で描かれてるのはそういうシーンではないはずです。でも『いとおしむように見つめている。』というのにも、妙な説得力があるんですよね。こんな歌を歌っておきながら、実方は相手に「同じ」を求めていないのかもしれません。
 だとしたら「うらやましくも」というのは、皮肉とかでなく本当にうらやましいのでしょう。自分にない部分に惹かれているという事なのかましれません。実方がこの歌で歌っていることをめちゃめちゃ意訳するなら「最近つらいことがあったから眠れないかなって思ってさ、彼女んち行ったのよ。そしたらさ、眠ってたのよ。もうすやすやでさ。俺は俺で悩んでて眠れなかったから行ったんだけど、不思議と悲しいとかなくてさ。というか、あんまりしあわせそうに眠ってるから、なんか、つられて俺も元気出ちゃったんだよね〜」という感じなんじゃないかと思えてきました。
 いや、「うき事」とかいうから話聞いてたら、とんだのろけじゃねえか!いいもんね!もう実方くんなんか寂しそうにしててもSplatoon誘ってあげないから!……でも本当につらい時は話聞くし、私も話に行くから聞いてほしい。そんときは、また、よろしく。

*1:参考:「実方集注釈」竹鼻