風をだに恋ふるはともし風をだに
来むとし待たば何か嘆かむ
(万葉/巻八/秋の相聞/鏡王女/1607)
男子校の将棋部員だった頃、大会では相手が共学校ってだけで並々ならぬ闘志を燃やしていました。
歌を訳すなら「風をだに恋ふるはともし風をだに」風さえもね、恋しく待っていられるなんてうらやましいよ、風だとしてもね「来むとし待たば何か嘆かむ」来ると思って待ってるんでしょう?ならどうして嘆く事があるの(こちとら全く期待する事がなくて絶望してるんですが……)、という感じでしょうか*1。
相手の悩みを聞いていたら、でもそれって悩んでること自体が贅沢じゃない?ってなるの、わかりすぎる……高校の頃、共学の友達がたまに話題にあげる恋愛がらみでめんどくさくなる人間関係の話に「そもそも恋愛がほぼほぼないからわからん」と返すことしかできなかったし、そう言って突き放してていたり、暗にねたんでいた部分もあったなと思います。
二回繰り返される「風をだに」がよく効いてますね。効いているというか、封印したはずの男子校出身コンプレックスによく効きますね……いろんなことを思い出してうめき声が出ました。
例えば将棋部の団体戦の時、どうしても共学の女子がいるチームに負けたくなかったとか、それでも負けてしまって、持っていた桂馬のストラップの裏側に後でその日の日付を彫刻刀で掘ったりしていたんですよね……怖い、怖いよ……*2。
別学と共学、それぞれ長所短所があるというのが今ならわかるのですが、まあ当時は自分のことで手一杯でした。そんな若い頃の視野の狭さが、繰り返される限定の「だに」をみて、もろもろ思い出されたのでした。