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わたいしの時もある

用意された心

風寒み春や来たらぬと思ふ間に
山の桜を雪かとぞ見る
(重之集/80)

 この間ハイキューという漫画の公式ガイドブック*1を読んでいたら、作中のフレーズが細菌学者パスツールのスピーチの言葉だったと知りました。調べるとウィキペディアにも「幸運は用意された心にのみ宿る(le hasard ne favorise que les esprits prepares )」*2*3というページがあり、その言葉の背景や訳され方などがわかって好奇心が満たされました。
 歌を訳すなら「風寒み春や来たらぬと思ふ間に」風が寒いから春は来ていないのかなと思っている間は「山の桜を雪かとぞ見る」山に咲いている桜のことを雪なんじゃないかって思いながら見てた、という感じでしょうか*4
 桜と雪を勘違いしていたこと。それを誰かに伝えるのはコミュニケーションとして自然だなあと思うのですが、歌が詠まれた理由や重之の心の形を考えているうちに冒頭のパスツールのフレーズが思い出されました。つまり、重之の心はまだ春を楽しむ用意がなかったのではないか?と思ったのです。
 もちろん、桜を雪と勘違いしていた直接の原因は「風寒み」風が寒かったからと、すでに初句で提示されています。なのでこれは妄想になってしまうのですが、勝手な共感を持って重之の心を想像するに、あの桜が咲いているように見える白く美しい景色も実はどうせ雪なんだろ?みたいな、先回りして絶望しておいて余計に傷つくのを避けようという後ろ向きな心理がこの歌に滲み出ているのではないかと思うのです。
 ほのかに、自分の責任の範囲で、何かに期待しながら生きていくのはどうしてこんなに難しいんだろうね?と重之に聞いてみたい気がしました。でも、よくよく考えてみると、そんな問いかけを想像する前提には、重之にはわかってもらえるんじゃないかという淡い期待を抱いている自分が既にあるのですね。
 およそ1000年前の短歌の圧縮された感情に共鳴して寄り添ってほしいと願うのは、前向きなのか、後ろ向きなのか、まだ私にはわかんないです。

*1:ハイキュー!! 10thクロニクル」集英社

*2:幸運は用意された心のみに宿る - Wikipedia

*3:すみません、最後のpreparesという単語のeは全て文字の上に点がついてるeです。変換で咄嗟に出なかったため、ただのeになっています

*4:拙訳