花咲かぬ我が宿さへもにほひける
となりの梅を風や訪ふらむ
(重之集/105)
住んでる地域でお祭りなんかがあると、なんとなくウキウキしてしまいます。別に前のめりで楽しみに行くタイプじゃあないのですが、自分の部屋で遠くから聞こえる太鼓の音を聞いては、なんとはなしに元気をもらっています。
歌は自分の家ではまだ花が咲かないけれど、近隣の春の雰囲気を風を通してお裾分けしてもらっているという感じの歌です*1。自分のところでは咲かない花なのに、隣で咲いている花の香りを楽しむか?という疑問は考えないといけない気がしますが、となりの家が咲いたなら自分の家の花ももうすぐ咲くだろう、と肩の荷はおろせると思いますし、春の訪れの歌だからか、そんなに僻んだ印象はこの歌から感じないなあと根拠もなしに思っています。
辞書*2で「にほひける」の「にほふ」の意味を調べているとちょっと妄想が捗りました。にほふの意味、以下抜き書きです。
① 美しく染まる
② 美しく照り輝く
③ 恩恵が及ぶ。栄える。
④ 良い香りが漂う。かおる。
この歌では④の意味で使われていることは間違い無いでしょう。ただ、上司からの辞令に恵まれなかった重之のことを考えると③の意味が頭をよぎりました。重之の周囲には希望のポストにつく友人もいたでしょう。そんな中で重之は自分の不遇をどう思っていたのか。
自分の家では咲かない花だけれど、となりの家の花の香りを「にほひけり」いい香りがするなあと捉えているのを読むと、そんなに過度に羨ましがったり苦しそうにしていたわけじゃなかったのかもしれないなと思えました*3。