わたいりカウンター

わたいしの時もある

鼓動は証

もみぢ葉の色をし添へて流るれば
浅くも思えず山河の水
よみ人知らず(拾遺/秋/194)

 今でこそ、褒められた時*1は努めてその言葉を受け取るようになったのですが、少し前までは「いやいや私なんか」みたいな対応しかできませんでした。
 この歌の技巧的に面白いところは、もみぢの色そのものについて直接的な言及がないにもかかわらず、濃い赤色に染まったもみぢが目に浮かぶところ。「浅くも思えず」が山河の水といっしょに、「もみぢ葉」の色が深いことをほのめかしています。さらに「浅くも思えず」浅いとわからないくらい、深い色のもみぢが水面を埋め尽くして、真っ赤な河になっているところまで想像してしまうのは、この歌に夢中になりすぎでしょうか。
 この歌の心についてはどうでしょう。詠み手としては「河が綺麗だなあ」というのが核だった思うのですが「浅くも思えず」という少し迂遠な表現に、上品さとそれから若干のひねくれを感じています。
 というのも、私はこの歌に河の視点から感情を流し込んでしまったんです。せっかく褒められたのに「いや、深いのはもみぢの色だけなんで、うっす、私なんかなんも面白くない浅い河ってだけなんで、その、はい」みたいな、褒められ慣れない自分のことを思い出して変な声が出そうになりました。
 自分で振り返ると、準備できていないところからくる褒めを素直に受け取れない時あぶり出されるのは、自己評価と他人からの評価のズレへの戸惑いだったり、もっと自分の根っこのところを褒めて欲しいみたいな「深くわかってもらいたい欲」なのかもしれません……今日も寒いと思ってたのに、なんか書いてて顔が熱くなってきたんですが。
 このよみ人知らずの人も、そういう自他の認識のズレみたいな悩みを抱えていたんでしょうか。もしそうなら友達になれそうな気配がします。大学で会ったなら、同じ授業の時とかたまに挨拶だけして、そのうち授業前に早く居合わせた時なんかにそれとなく好きな音楽とかから聞いてみたいです。

*1:稀にそういうことがある