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わたいしの時もある

淀のとなりは

明日香川七瀬の淀に住む鳥も
心あれこそ波立てざらめ
(万葉/巻七/雑歌/鳥に寄す/1366)

 今日は手遊びに坂本九の「明日があるさ」を弾いてたのですが、歌詞があんまり奥手な男子の恋模様で古傷が開きました。そしてそういう(私みたいな)やつは理屈に逃げるもので。
 冒頭歌もなかなか言い訳が上手くて目をひきました。「明日香川七瀬の淀に住む鳥も」明日香川の七瀬の淀に住んでる鳥も「心あれこそ波立てざらめ」よく見られたいからこそ、波を立てない(で静かに泳いでる)んすよ、と歌っています*1
 周囲に恋の歌が多いのでこれも恋の歌と解釈するのが自然かもしれません。ただ、恋に限らず「お前なんかさっきから全然喋らないけど、何?興味ない感じ?」みたいに、関心の有無を問われたときの返しの歌であるととるのが個人的には無難だと思います。
 ……無難な態度をとっているつもりなんですよね、本人としては。でも周りからしたらその態度の意味がわからなくて困ってしまうし、何なら気を揉むわけで。それで問われて応えた歌が冒頭歌なのでしょうが、聞かれる前に是非とも行動で示してほしいところ……歌の解説をしているつもりが自分を糾弾しているような気になってきました。
 行動の中で自他の境界を絶えず再規定し続けられる人と、ひとり思考の中で自己を再定義し続けてしまう人という構図が、滔々と流れる初句明日香川と、二句目の波もたたない七瀬の淀の対比からうっすら読み取れる気がします。とすると、この歌の詠者もこうして弁明の歌を詠みつつ、周りを見てどうしたらいいか考えてるのではないでしょうか。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集 (中)」旺文社文庫