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わたいしの時もある

まだあたらしかったころ

しろぬひ 筑紫の綿は身につけて
未だは着ねど暖けく見ゆ
(万葉/巻四/沙弥満誓/綿を詠む一首/336)

 最近ちくちくしないセーターの広告を見ます。私は肌がそんなに強くないので、袖の長い肌着なしにセーターを着たことはなく、ちょっと気になっています。そういえば肌が弱いのは家系なのか? と祖父母の普段着を思い出そうとしてみると、あまりセーターを着ていなかったので、その線はありそうです。
 冒頭歌は綿を歌っています。訳すなら「しろぬひ 筑紫の綿は身につけて」筑紫の綿は身につけたり「未だは着ねど暖けく見ゆ」着たりはまだしてないけど暖かそうに見える、という感じでしょうか*1。初句「しろぬひ(不知火)」は筑紫の枕詞なのですが、綿という話題で聞くと「白縫ひ」というように聞こえて、収まりがよくてにこにこしちゃいました。
 あっさりした歌で好みなのですが、これで文章を書くのはちょっと心許ない。そう思って、いくつか手元の注釈書を梯子したら旺文社文庫の方に綿についての記述があり、心躍りました。曰く『太宰府から国産の真綿が貢進されていた。今日の木綿が渡来したのは延喜十八年のことと伝えられる(「日本後記」)*2』とあります。天平18年、つまり746年まで木綿が日本史上に登場しないというのは驚きました。
 そこでふと、木綿が新素材だったころがあるなら、綿も新素材だったころがあるのではないかと思いました。下の句「未だは着ねど暖けく見ゆ」の綿に対するたどたどしい反応も、慣れない素材だったからかもしれません。今でこそ当たり前に使われる素材でも、導入当初は新素材だったという、まるでおじいちゃんって若い時あったんだ!みたいな驚きも、現代の読み手として感じられてきました。祖父母があまりセーターを着ていなかったのも、ちくちくするからとかではなく、目新しい衣類へのためらいもあったのかもしれないと思い直しました。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(上)」旺文社文庫

*2:引用元チェックできてませんで、孫引きになっていますご容赦ください