わたいりカウンター

わたいしの時もある

永久の心理なのかしらね

あきのたのほのうへをてらすいなづまの
光のまにも我やわするゝ
(古今/恋一/547)

 証明写真の撮影が苦手です。というのも、まずわかっていてもフラッシュに目を瞑ってしまう。そして頑張って目を開こうとして、でも眉間に皺は寄っちゃいけないし、口元は自然な笑顔が理想で、めがねに光が反射しないような角度で、あごは引いて、頭は地面と水平で……と考えることが多いのが、何よりつらい。思い出しただけなのに混乱してきました。何かを考えると、他の何かが必ず抜け落ちてしまうんですよね。
 歌を訳すなら「あきのたのほのうへをてらすいなづまの」秋の田んぼの穂の上を照らす稲妻が「光のまにも我やわするゝ」光る一瞬でさえ私は(あなたを)忘れるでしょうか(ずっとあなたを想っていますよ)、という感じでしょうか*1。初句から四句目までぜいたくに使って雷光の一瞬を強調することで、絶え間なく思っている詠者のこころを伝えています。すごく手間も枚数もかかった数秒のアニメーションを見たときみたいな読後感で惹きつけられました。
 初句から第四句までの景色は、あくまで絶え間ない思慕を強調するための修辞表現という気もしていて、実際に詠者がこの景色を見たのかはわからないとは思います。ですが、もし本当に秋の田んぼでいかづちを目撃した時の歌だとしたら、詠者はとても驚いただろうなとも思うのです。頭を垂れる一面の稲穂を眺めていると、視界が突然、雷光の白で満ちる。そのあと一呼吸遅れて、詠者はその閃光に驚きもせず一心に誰かを想っていた自分に気づいたのでしょうから。