わたいりカウンター

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おほ空をながめぞくらす吹く風の

音はすれども目にし見えねば

みつね(拾遺/雑上/450

 今日はひとり飲みに行ったら数年ぶりにあう友人とたまたま居合わせて、小銭を持ちたくないという理由で450円おごってもらうことになりました。

 歌は「おほ空をながめぞくらす吹く風の」大空をただ眺めて暮らしている。吹く風の「音はすれども目にし見えねば」音はするけど目には見えないから、という感じでしょうか*1

 躬恒の意図とは違うかもしれないのですが、世間になじめないなぁという気持ちを重ねてしまいまして。大空を社会とかコミュニティに重ねて、何か、目に見えない情報のやり取りの気配は確かに感じられるけれど、それがよく見えるわけではないから自分にはさっぱりだ、という歌に読めてしまいました。

 居合わせた友人に、あんまり連絡をとらなくなった人をめしに誘ったりするのが苦手だという話をすると、たまたま思い出して、とか、あれ、今日誕生日じゃなかったっけ、とか、顔忘れちゃったんだよね、とか、いろいろ具体的なフレーズを教わった挙げ句、自分が誘われたときのこと思い出せばいいじゃん、という至極真っ当な指摘を受けて、そもそも自分があまり誘われない人間だったことを自覚したりしました。

 ただ、次にこの友人を誘う文句はもう用意できてるんです。「こないだ貸してもらった450円返すよ」

 

 

*1:すみません、出先なので拙訳です