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わたいしの時もある

そういうとこだよ

雲のうへにさばかりさしし日かげにも
君がつららはとけずなりにき
(後拾遺/恋一/五節に出でてかいつくろいなどし侍りける女につかはしける/中納言公成/622)

 自分にないものに惹かれる。それ自体は自然な心の動きだと思います。けれど、関わっていく中で双方向的に自分も変わっていく可能性を考えないとき、その関係はずいぶんグロテスクなものになる気がします。
 冒頭歌は祭事で舞う人の衣装やメイクなどを担当する女性に、中納言の公成が、全然こっち向いてくれないじゃん(大意)、と伝えた歌。訳すなら「雲のうへにさばかりさしし日かげにも」雲の上でこんなにさしてる日差しにも「君がつららはとけずなりにき」君のつらら(みたいにつめたい心)は解けませんでしたね、という感じでしょうか*1
 構図からし穿った目で見てしまいます。報道番組で居合わせた公務員のお偉いさんが、女優のメイクさんに言い寄ってるって感じがしてしまうからです。歌がよかったら、本気で恋してるんだ、このおじさん、となるのでしょうが「さばかり」こんなにも、と強調して、俺がせっかく目ぇかけてやってんのによ、みたいなそこはかとない上から目線を感じてしまって、なんともかなしい。
 摂関政治における家格の上げ方なんかを考えるに、当時の社会通念上いたしかたない考え方だとも思うのですが、昔の歌を読んでいるのだ、と自覚させられるつらさがありました。
 そこまで考えて、ふと、わたしも公成に対して、こんなにわかろうとしてあげてるのにつれないね、と上から目線で接しているのかも知れないと気付いて焦りました。ごめん、せっかく打ち明けてくれたのに、なんか上から目線であーだこーだ言ってしまってた。もう一杯酒頼んでいい? わたしの失敗談は……そうね、昔、気になってた相手と連絡先交換してたまにやり取りしてたんだけど、この作品が好きなんですよね〜って白雪姫オマージュの某作を勧められてのち、やんわりと距離をとられたことがあってさ。しんみりとへこんだ。今思うと、自分を全然客観視できてなかったんだわ。でさ、全然連絡とらなくなった後で、ふと思い出してその作品読んでみたら、登場人物たちがすっげーいい恋愛してんの。お互いを一人の人間としてリスペクトしているところとか、相手の隣に立つに足る自分でありたいとか、自分の立場で精一杯尽くすとか、なんかもうね、自己採点してて模範解答見てなるほどって思うし、他の人の回答聞いても完答こそしてないけど問題の根っこは捉えれてて全然自力で手が届きそうじゃんって尊敬しつつ、自分の答案見たらさ、もうてんでとんちんかんなこと書いてて、穴があったら入りたいなって……え、何? 別に俺には正妻もいるし仕事も順調だし歌も技巧的には意図したものになって満足してるからそんなにはへこんでない? え、なっ、わたしの立場は……今日は奢ってくれる? そう……。