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わたいしの時もある

昔作った

今作る斑の衣面影に
我に思ほゆ未だ着ねども
(万葉/巻七/譬喩歌/衣に寄す/1296)

 
 歌を訳すなら「今作る斑の衣面影に」いま作る斑の衣が(あの人の)面影を「我に思ほゆ未だ着ねども」私に思わせる、まだ着ていないのに、という感じでしょうか*1上代に使われた助動詞「ゆ」は受け身や自発の意味があります。作りたての、染め色の入りもまだらの着物が、詠者に誰かのことを思い出させた、という歌なのですね。
 もちろん、自分で着ていく着物を染めて、早くあの人に見せたい、という歌の可能性もあると思います。ただ、個人的には「面影」と顔の雰囲気を思い出しているあたり、誰かのために作った着物なのかなと。染料につけて干した着物を取り込んで畳んでいたときに、前を合わせると自然と人が着ているようなシルエットになって、本当ならこの襟裏はあの人の首で見えなくなるのか、と着たところを想像して、その想像上の相手の顔が畳んでいる着物と同じく手の届くところにあって、しかもこっちを向いていることに気づいて、わっ、と気色ばむ。そういうシチュエーションで詠まれた歌なのではないかと勝手に思っています。
 ここで文章を書いていて、わたしは誰かの顔を想像することはあんまりないのですが、思いおもいに設定されたアイコンが文章の下に並ぶのはうれしいことだなと思っています。
 落ちた紙飛行機をもう一度飛ばすように歌を紹介できていたらいいのですが*2
 

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫

*2:読み返してみて思うのは、別に昔の歌は落ちた紙飛行機じゃなくてまだ飛んでるし、この文章もどう読んでもらっても構わないということです。何もかもいまだに手探りでやってんな、と最近思います!すんません!