わたいりカウンター

わたいしの時もある

苦いと思っていた歌が実は甘いパターン

中々ひとりあらねばなど、女の言ひ侍ければ 

ひとりのみ年経けるにも劣らじを
数ならぬ身のあるはあるかは
(拾遺/雑恋/元輔/1250)

 「もしあの時あの人と付き合っていたら」という想像は甘ったるいですが、冒頭のシチュエーションはなかなか苦々しい。というのも「中々ひとりあらねばなど、女の言ひ侍ければ」かえって独身だったらよかったな、と奥さんが言い始めたというのです。
 それに対して元輔が言い放ったのが冒頭の歌。「ひとりのみ年経けるにも劣らじを」ひとりだけで(独身で)生きてきても(今の人生とは)劣らないと思うよ「数ならぬ身のあるはあるかは」(わたしみたいな)人の数にも数えられないふけば飛ぶような人間がいてもいなくても、という感じでしょうか*1
 一読して、元輔はなんてひどいやつだと思いました。普通なら、あなたが選んだわたしにはこんなに価値があるじゃない?みたいなことを言って取り繕いそうなものですが、逆に自分なんてとるに足らない人間だ、と開き直っているように読めたからです。ですが、この不思議なロジックに魅入られて考えているうちに、なんだか自己肯定感のなさが一周回って相手を肯定する効果を生んでいるような気もしてきました。
 かといって、こんなわたしを愛してくれてありがとう、みたいな感じでもないと思うんですよ。思うに、この歌にあるのは愛想ではなく、甘えなのではないでしょうか。長年連れ添った夫婦同士の、ある意味気の置けない会話の底には、それでも離れられない繋がりがあるんじゃないかと、高校の時、周りにいたカップルが口喧嘩をよくしていたことを思い出しながら、邪推してしまします。そういう奴らは、一通り愚痴を聞いて、なんとなく諭してみても、「そういうんじゃないんだよね」という感じで照れとも愛想笑いともつかない微笑を周囲に向けてくるんですよ*2
 ええと、歌に戻りますと、やっぱり元輔は奥さんに構ってもらいたいのではないかと思います。構って欲しいから、「別に、俺といたってなんも面白いことなんてなかっただろ?」と言って、「あれ、別にそんなことはないかも」と思い返して欲しかったのではないでしょうか。