わたいりカウンター

わたいしの時もある

対決まほろば目に見えない

春霞はかなく立ちて別かるとも
風より他に誰かとふべき
(後撰/離別 羈旅/離別/よみ人知らず/1342)

 中学時代、毎日のように朝昼卓球をしていた将棋部の友だちがいた。彼とは将棋盤を挟んでもアホほど対局したし、いま振り返ると、ちょっと気持ち悪いくらい一緒にいたものだ。けれど、学校が変わってからは、ぱたりと音信が途絶えた。改めてメッセージをやり取りするだけの距離には戻れなかったのだ。

 歌はなんだか寂しそうにしている。「春霞はかなく立ちて別かるとも」春霞が淡く立つみたいに(わたしは)旅立って(あなたと)別れるとしても「風より他に誰かとふべき」ふく風より他に誰が訪ねてくれるだろうか(いや、誰も訪ねてくれやしないんだ)、という感じの歌*1。春霞が、「立つ」にかけて旅立ちを表現するだけでなく、その別れをほんのり際立たせる壁のような役割も果たしていてめっちゃいい。

 関係がなんとはなしに疎遠になる感じには身に覚えがあった。卓球台のネットやら将棋盤を挟んで長いこと顔を合わせた彼のことを親しく思う一方で、学校が別になるとなんとなく連絡をしづらいと感じる、この近いようで遠い関係は、決して決定的な断絶ではないものの、まるで薄い膜に隔てられたような不思議な遠さがあって、それはもし形容するならちょうど「春霞に隔てられた」と言えたかもしれなかった。

  返し

目に見えぬ風に心をたぐへつつ
やらば霞の別れこそせめ
(後撰/離別 羈旅/離別/伊勢/1343)

 後撰集には、さっきの歌の返歌もあった。「目に見えぬ風に心をたぐへつつ」目に見えない風に心を寄り添わせながら「やらば霞の別れこそせめ」流したなら霞もきっと分かれてくれる(道を譲って便りを届けてくれる)でしょうよ*2と、なんとも好意的に返事をしてる。心は相手の方へ向かっているし、景色も、まるで真っ白いのれんの はためくみたいに分かれていく春霞がうつくしい。

 また「目に見えぬ」という表現に、ほのかにやさしさの気配がある。あなたを大事に思ってるよ、それは目に見えないから、あなたが気づかないのもしょうがないかもしれないけどさ、と、伊勢は自分の心が伝わっていないことを、相手でも自分でもなく「心が目に見えない」せいにしているようにみえるから。

 ふと、卓球も将棋も物質的には価値はなく、ただ二人で勝負しているという状況こそが、二人の関係を繋ぎ止める唯一のあり方だったかもしれないと今更ながらに気づいた。そんなの、ティーンの頭でわかるわけないじゃん! と得体の知れない何かに怒りながら、なんだかまた、将棋盤の向こうの彼の「よろしくおねがいします」が聞きたくなってきた。

*1:参考:「後撰和歌集新日本古典文学大系

*2:参考:同上