わたいりカウンター

わたいしの時もある

ありがとうございます

 

 

 読んだもの、観たもの、聴いたものなどを羅列する回というのをこれからちょこちょこやっていきたいと思います。綿入り、というふわふわした不定形のイメージと、What I read というちょっと簡素で構造的なイメージの間を行きつ戻りつ文章を書いていくつもりなのです。どうせやるなら思いっきりやったほうがいいのは理屈ですが、昨日はちょっと、片方にふれすぎました。パッションと同じくらい理性を持ってくれ、ということで、せめて今日は、なるべく短く、短く書くことを心がけたい。



・『聲の形』1巻/大今良時
 めちゃおもしろい。小中学生特有のコミュニティとその崩壊も、悪い人間(大人も子供も)の描かれ方の豊富なバリエーションとそのリアリティも、主人公の行動原理の描かれ方の巧みさも全て、視点人物と読者が同じ人間をじっと見つめてしまうようにする工夫としても成立していて、満ち足りた読後感の一冊になった。唯一覚えている前情報の通り、担任がまごうことなきクソ野郎だったのでなぜか安心した(たぶん、相対的に主人公のことをそこまで嫌いにならずに済んだから)。

・Conva「サークル」

 とある大学サークルの一室で、いろんな顔を見せる異性の友人に困惑しながら、オタク青年の下したある決断とはーーという感じのコントなのだが、登場人物一人ひとりの解像度が高く、それでいて構成の妙も評価されるべき傑作だった。人間や社会といった、自分以外の存在の複雑さに困惑しながら、それでも、それとどう向き合うのか、という、極めて普遍的な命題にも肉薄しながら、ロバート秋山、というよりも友近のような、ハイエンドな一般人モノマネも楽しめるので、是非。

・『群黎 I』佐佐木幸綱
 まだ途中までしか読めてないが、熱量溢れる好歌に満ちていて、どの歌にも日々を生きる人間の気配がする。上質なエッセイのようでいて、優れた思想書のような一面も垣間見えて(たまに挿入される短文がまた いんすよ)、自分にとってはあたらしい読書体験になっている。勅撰集(アンソロジー)を読み慣れているからか、一人の歌人の歌を連続で読むのに若干の抵抗があったけれど、気づいたら、なくなっていた。比較的細かめに章立てされているのと、多くの歌に詠者の歌風の背骨が浮き出て見えるところが大きいような気がしている。

 

 さて、今回箇条書きをやってみて振り返ると、わたしは、人間(のストレス)が匂い立ってくるような作品が好きなんだなあ、と思う。これまでの和歌紹介では、基本的には、その歌の景色や詠者に寄り添って、わたし自身は媒介(だし)であると自覚し、その歌の持つ人間性を際立たせる形で紹介しようとしてきたつもりだ。けれど、特に前回は、歌よりもわたしが、わたしよりも型式が際立ってしまっている点に功罪があり、罪としては、その構造が歌にあまり奉仕していないところだと思う。
 けれど、功もあった。わたし個人の話になってしまうのだが、ここで文章を書くそもそもの動機の一つとして、客観的な情報だけでなく、感情を伴った自己開示を自然にできるようになりたい、というのがあった。で、情報と感情の間にある文章が、紹介、だったのだ。なので、その振れ幅がだんだん広くなっていること、そしてそれらを楽しんで読んでくれる人がいることは、とてもうれしい。ありがとうございます。
 また、まだまだ振れ幅を広げていきたいので、困惑、される回もあろうかと思うのですが、行きつ戻りつしながら、いろんな形で、作品に誠実であろうと努めますので、これからもどうぞ、よろしくおねがいします。