わたいりカウンター

わたいしの時もある

袖が凍る前に

降る雪に濡れきて干さぬわが袖を

こほりながらも明かしつるかな

(重之集/289)

 

 ひさびさに銭湯に行って、自分の体温より5℃くらい高いお湯に浸かった。気づけば、実に半年ぶりの湯船だった。めんどくささが先行していつもシャワーで済ませていたのだ。外側から物理的に温度をもらって否応なしに元気になるこの感覚を、もう随分忘れていた。

 冒頭は冬の寒さの中で夜を明かす(のがつらい)歌。降っている雪に濡れるのが乾かず、自分の袖が凍ったままで夜を明かしているよ*1、と歌っている。雪が衣服につくと体温で一度溶けて服にしみて、それから気に冷やされて凍る、という一連の流れが丁寧に描写されていてそれだけで読みごたえがあるし、それは同時に重之が寒いこと以外に何も考えられないということかもしれなくて意外と情報量が多い。

 なんとも寒そうな歌だな、と思ったのだけれど、私にそんなことを思う資格があるのだろうか? とすぐに思い直した。半年くらいの間湯船を軽視していた私も、自分の体を冷やしたままにしていて寒そうだからだ。

 重之に「わたしも半年くらい全然風呂入ってなかったから、寒かったわ〜」と共感のスタンスで近づいていったら、「いや、いつでも風呂に入ろうと思えば入れたんじゃない?」と冷静にたしなめられて、それはその通りだな、と納得してしまった。私はリマインダーに風呂を登録しないといけない人間だった。これからはもっと寒くなるし、ちょくちょく湯船に浸かり温度をもらっていこうと思う。だから重之も、どうかいいタイミングであったかくしてほしい。

*1:拙訳