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おいおい


春の野は雪のみつむと見しかども
おひ出るものは若菜なりけり
和泉式部集/春/3)

 歌は春の訪れの気づきを歌っている。「春の野は雪のみつむと見しかども」春の野原は雪だけが積んでいると見たけれど「おひ出(いづ)るものは若菜なりけり」生え出ているのは若菜だった〜、という感じの歌*1。最後に「若菜なりけり」としているところがかわいくて採ってしまった。幼い子供が「ぜんぶ雪だと思ったらね、ちょこっと生えてたの!若菜!」とか言ってる情景を幻視してしまった。

 別に和泉式部は子供じゃないので、さりげない技巧としておもしろい掛詞を使っている。「雪のみつむ」の「つむ」は「積む」なのだけど、「摘む」ものでもある若菜の気配をなんとなく匂わせている。それに「おひ」という語は表裏があって「生ひ」であると同時に「老ひ」の気配もある。生まれてこの方、大人から赤ん坊、若菜に至るまで着々と老いている、というのは、やっぱり大人の視座であると思う。

 57577の最後で若菜を見つけたことを明かすのは、詠者のあどけない興奮を感じる一方で、掛詞の使い方に大人な機知を感じてなんともあべこべな魅力がある。冬と春の過渡期の歌として正しい形をしている、とするのは流石に言い過ぎだろうか。でも、そう言い切ってしまいたくなるくらいには、わたしはこの歌をいいと思っているらしい。

 

*1:参考:「平安鎌倉私家集」日本古典文学大系