わたいりカウンター

わたいしの時もある

閑かな夜


 ほととぎすをよめる
またねどももの思ふ人はをのづから
山ほととぎす先ぞききつる
和泉式部集/夏/22)

 歌は夏の風物詩ほととぎすの初音について歌っている。「またねどももの思ふ人はをのづから」待たなくても、思い悩んでいる人は自然と「山ほととぎす先(まず)ぞききつる」山ほととぎす(の声を)きっと最初に聞く、という感じか*1

 季節の訪れを教えてくれるほととぎすの初音は、聞くことが難しい。いつ聞えるかわからない声のためにずっと起きているわけにもいかないからだ。けれど、やむを得ず寝られないひとは、期せずしてその鳴き声を聞くことができるのでは? と歌っている。それは初音を聞ける人への羨望のようでいて、夜更かしするほど思い悩む人への慰めのような気もする。

 また、なんとなく口ずさみたくなる歌で、よく見ると韻が随所で整っている。特に「物思ふ」と「ほととぎす」は五音中四音も押韻していてたのしいし、この二語の韻律の近さはそのまま、実際の「物思ふ人」と「ほととぎす」の距離が声を聴けるくらい近いことも表わしているのではないか。また、ほととぎすの美しい声を聞きたいと暗に歌う歌の韻律が美しいのは、目で文字を追う読者に聴覚を意識させる点でも良さがある。

 たくさんの美点に、思わず「ブラボー」と声を出しそうになったけれど、なんとか思いとどまった。くちびるの前で人差し指を立てた和泉式部がじっとこっちを覗き込んでるような気がしたから*2

*1:参考:「平安鎌倉私家集」日本古典文学大系

*2:あのジェスチャーがいつから日本で普及していたかは、まだわかっていないそうです